6歳下のドラマーと6年で離婚した相本久美子
そんな2人の交際が進展したのは86年12月。倉内氏は当時28歳の相本に対し、「あなたはもういいかげん年なんだから年齢のことを考えれば、結婚する気もないのにボクとズルズル付き合うのは時間の無駄だ。それなら別れたほうがいい」と結婚を迫った。その言葉にショックを受けた相本は年明け早々に両親に紹介し、87年7月7日、七夕の日に入籍した。8月24日には六本木で披露パーティーが行われ、友人たちが結婚を祝った。
その後、同年11月に妊娠が判明、88年3月29日に長女が生まれた。このため延び延びになっていた挙式はさらに延期。軽井沢の教会で式が行われたのは90年6月15日。入籍から3年後の子連れ結婚式となった。
しかし、皮肉なことにその頃から夫婦仲が徐々にスレ違うようになっていく。仕事柄、時間が不規則な夫に対し、ただでさえ育児に手抜きができない相本。ズレが悪い方に転がっていった。相本は再び妊娠したものの流産。日々ケンカが多くなり、娘が幼稚園を卒業するころには口も利かない夫婦になり、結婚6年で、夫は妻と娘の元を去った。
子育て中は活動をセーブしていた相本だが、99年ごろから芸能界に本格復帰。同時に芸能生活25周年記念エッセー「四半世紀のないしょ話」を出版した。「相手の気持ちが離れてきたら追いかけて粘っても絶対無理」と離婚を振り返り、後悔は全然していないともコメント。その後の相本は「もう一回結婚したい」と語るも、いまだに独身。現在もドラマやバラエティーで活躍中だ。
◇1987年7月 4日、自民党竹下幹事長が経世会を発足。11日、世界の人口が50億人を突破。16日、トニー谷が死去。69歳。17日、石原裕次郎が死去。52歳。23日、首都圏1都5県の約280万世帯で猛暑による電力供給不足で停電。