大島渚編<前編>トカゲにぶち切れ「お前、どこの事務所だ」
大島監督とは、私が大学生の時からの縁だ。うちの父はニューオータニのパーティーで大島渚監督を見つけ、初対面ながらアメリカで映画の仕事に就きたいという息子(私のこと)について相談したのだ。
「アメリカ留学もいいけど、これから日本のテレビはもっともっと面白くなる。私はテレビを勧めますね」
と、とうとうと語ったという。「大島さんが言っていたが、テレビもいいらしいぞ」と父が言うので、この勧めに従い、どうにか日本テレビに入社したのだった。
そして入社3年目に「日本映画80年スペシャル」という番組のスタッフとして大島監督の現場に入ることができた。冒頭、大島渚監督をお呼びし、疑似で映画撮影ロケ現場をつくり「よーい。スタート!」と言ってもらうことにした。新宿の高層ビルの間の広場でディレクターズチェアに座った大島渚監督が、大きなメガホンを取り上げ、やる気満々だ。
「よーい。スタート!」
半径100メートルのOLやビジネスマンが足を止めるほど凄まじい咆哮だった。だが、この“大島砲”の勢いと反作用はトンデモなく、大島さん自身の座っている椅子が後ろに傾き倒れそうになった。それでも大島さんは「うーん。久しぶりに気持ちがいいね~」と上機嫌。そして私が入社した経緯などを話すと「ああ、そんな相談があった気がするね~。君だったか。テレビも映画も映像と音声。これからのテレビをもっと良くするために頑張ってほしい。今日は君に会えてうれしかった」と、固く両手で握手してくれた。大島渚監督はかくも熱くいつも真剣に生きている人だった。