音のライバル夏目千鶴子のモデル 関屋敏子の数奇な運命
公演活動を精力的にこなしていた敏子が結婚したのは34歳の時。相手は徳川家剣道師範の家柄で、農林省の役人の柳生五郎という人物だった。だが、幸せは長くは続かなかった。夫は彼女が仕事を続けることを望まず、家に置いておこうとした。結局、結婚生活は3年しかもたなかった。
離婚して10カ月が経った1941年11月23日、敏子は睡眠薬自殺を遂げる。享年38。その理由は今もってわかっていない。太平洋戦争が開戦するのは、それから2週間後のことである。