【対談】早見優×音楽プロデューサー松尾潔「40年越しの邂逅」「33年前の奇跡のニアミス」
幻のファンクラブ会員ナンバー4番
早見 最初は聖子さんのファンだったとか?
松尾 神に誓って違います。「サンミュージックのハコ推し」でも全然ない。向こうからすれば「前のめりの地方の男の子から電話がかかってきたぞ」ってなもんだったと思うんです。
早見 それでファンクラブにも入っていただけたんですか?
松尾 もちろん。会員ナンバー何番か知ってます? 4番ですよ(笑)。
早見 4番!
松尾 すると今度は事務所の人から「九州のエリアリーダーになって下さい」って電話がかかってきた。でも、これが災いすることにはまだ気づいてない。
早見 どういうこと?
松尾 電話がかかってきたのが高校受験の夏期講習に行ってる最中で、母親が電話に出たんですけど、何のことかわからないでしょう。帰って来たらいきなり正座ですよ。「キヨシは何にうつつを抜かしてんだ」と。それで退会させられてしまうという(笑)。
■2枚目シングル「LOVE LIGHT」の影響
早見 幻の会員番号4番だったんですね。でも、いい話を聞きました。私にとって松尾潔さんは、当然、音楽プロデューサーとして以前から認識はしていて、いろんな曲を聴かせていただいてたんですけど、私はEXILEの「Ti Amo」が本当に大好きで。
松尾 え!
早見 ファンキーでキュンキュンして「めちゃくちゃカッコイイ曲だなあ」って……。あの曲を作ったのが松尾潔さんって聞いて「一度お会いしてみたい」ってずっと思ってました。
松尾 今日で地球が終わってもいいかもしれない(笑)。
早見 私自身もキース・スウェットとか、アニタ・ベイカーとか、R&Bはよく聴いてましたから、それを感じる楽曲に触れると「お、これは」っていうセンサーが働くんです。
松尾「LOVE LIGHT」(早見優2枚目のシングル)を聴いていたら、ああいう曲が出来るんです(笑)。
早見 何だか今日は、褒めてもらってばっかり(笑)。
松尾 だから、会ったことはないけど、同じ景色を見ていた実感だけは、なぜかあったんですよね。
早見 わかります。お会いしていないのが、意外でした。だって、共通の知り合いは多いですよね。
松尾 そうです。例えば、TRFのDJ KOOさんもそうだし、それを言うなら筒美京平先生だってそう。数え切れない。この対談だってそもそもは、音楽評論家のスージー鈴木さんが、縁を取り持ってくれた部分もありますからね。
早見 もしかしたら、同じ場所にいたこともあるのかもしれませんね。
松尾 いや、実はあるんですよ。さかのぼること33年前にニアミスしてるんです。
早見 私たちニアミスしてるんですか? いつ?どこで?
松尾 1989年です。平成元年。当時、今で言う臨海副都心エリアにMZA有明ってあったでしょう?
早見 懐かしい! ライブハウスがあって、クラブがあって、レストランもあって、日本がキラキラしていたバブルの時代の象徴みたいな場所ですよね。
松尾 あの頃、毎晩のように通っていたんです。何かしらイベントをやっていたし、知り合いがいたもんだから、そのうち顔パスにもなって。
早見 そうだったんですね。
松尾 そしたらある日、「松尾さん早見優のファンだったよね。今、2階のVIPに来てるよ。行く?」って知り合いが言うんです。
早見 えー。
松尾 一気に酔いがさめました。そこでピュアな面が出て「いいです。彼女と会うときは、ちゃんと会いたい」って断りました。まさかそれから33年も会えないなんて(苦笑)。