「ほどよい不完全さ」をあえて残しておくのが作詞のむずかしさでもあり、おもしろみでもある
先月、作詞した天童よしみさんの50周年記念シングル「帰郷」について書いた。そのとき、同曲が第55回日本作詩大賞にノミネートされたことに触れたのをご記憶だろうか。まさに軽く〈触れた〉程度だったが、驚いたことに先週末ぼくは大賞を受賞した。その模様はテレビで生放送されたから、ご覧になった読者もいらっしゃるかもしれない。
作詩大賞は演歌・歌謡曲限定の賞。R&B畑の自分にはずっと縁遠く、今回の初ノミネートにもどこか呑気なお客さん気分だったのは否定できない。だが義に厚い天童さんには、望郷の詞を書き下ろしたぼくに恩返しすべく、作詞家へ授与されるこの賞を絶対獲らせてあげたいという強固な信念があった。生本番の鬼気迫る熱唱でぼくは彼女の思いに初めて気づき、身震いすることになる。過ぎた呑気も困りものというオハナシです。
受賞後は、近年記憶にないほど沢山のお祝いの言葉をいただいた。じつにありがたいことである。あらためて作詞に思いをめぐらせる絶好の機会ともなった。
ところで、先ほどから「作詞」と「作詩」の二つを混在させて書いているのに気づいているだろうか。ふだんぼくが「作詩」を使うことはまずない。詞と詩は似て非なると信じて歌詞を作ってきた。ほとんどの人たちの認識も同様ではないか。なぜなら、手元に届いた祝辞には9割の高確率で「作詞大賞おめでとうございます」と記されていたから。