元吉本興業取締役が明かす「M-1グランプリ」立ち上げの裏側…中川家は乗り気じゃなかった
来月24日に19回目の決勝戦が行われる「M-グランプリ」。今年は史上最多の8540組がエントリーした。2001年の第1回大会のころ、漫才はブームが過ぎて冬の時代--。同時に43歳で制作の仕事から外れ、制作部の総務デスクのような仕事を任されたのが、元吉本興業ホールディングス取締役の谷良一氏だ。
谷氏は、"窓際"社員から1人担当業務として「漫才プロジェクト」チームに任命され、部下もいないリーダーとして、「M-1」を作ったレジェンドだ。あれから20年以上の歳月を経て、谷氏が初めて「M-1」誕生の裏側を書き起こしたビジネス・ノンフィクション「M-1はじめました。」(東洋経済新報社)が話題となっている。
当初、芸人たちの反応もイマイチだったという。その典型が、第1回優勝者の「中川家」だったと谷氏は振り返る。
今までに何かの賞を取っている漫才師の方が関心を示さなかった。
吉本主催のコンテストなんか胡散臭いし権威もない、優勝したとてどうせ1000万円は嘘でしたとかなんとか言ってギャグにするオチだと思っていたのだろう。
その典型が中川家だった。続々とエントリーが増えていくのに、いつまで経っても中川家のエントリーがない。しびれを切らして、中川家のふたりを呼んで本社4階のミーティングルームで話をした。ふたりはなんの用ですかとでも言うようにめんどくさそうに現れた。
「M-1のことは知ってるか?」
「はあ、聞いてますけど」
「なんでエントリーせえへんの」
と聞くと、ふたりはあきませんか?という顔でぼくを見た。
「なんでということは特にないですけど、参加せなあかんのですか」
ふたりとも現在置かれている状況には不満があるけど、いかんともしがたいものだとあきらめているような感じがした。
「もちろんや。これは漫才を復活するためのイベントや。きみらが出なかったら誰が出るねん。きみらは優勝候補やで」
そんな言葉にもふたりは無反応だった。ぼくの言葉など信じてないという感じだ。
病気のせいで仕事を干された経験から、会社に対して不信感を抱いているのかもしれない。あるいは、今さら踊ったってどうにもならないとあきらめているのかもしれない。そんなことはないぞと言ってやりたかった。
しばらく沈黙が続いた後、剛が言った。
「じゃあ受けるだけ受けますわ」
なんとも雰囲気が悪いまま話し合いは終わった。ふたを開けてみると意外に応募者が集まり、最終的に1603組の応募があった。