元吉本興業取締役が明かす「M-1グランプリ」立ち上げの裏側…中川家は乗り気じゃなかった
「おれたちからも2000円取るのか」と中川家がボヤき
出場コンビには、2000円のエントリーフィーを取っている。吉本の売れている漫才師たちは受付でエントリーフィーの2000円を払うことに不服そうであった。
大阪での予選1回戦の3回目ぐらいだっただろうか。中川家が受付に来て、「おれたちからも2000円取るのか」とぼやいている。
「これが1000万円になって返ってくるかもわからんのやから安いもんやろ」
ぼくが後ろから声をかけるとびっくりしていた。
「まあ、きみらには無理かもしれんけどな」
「何言うてますの」
礼二が笑いながら、「なんちゅう会社や」と言って控室に戻っていった。彼らを含め、3回の予選を勝ち抜いてきたコンビはそれぞれの思いを胸に準決勝に挑んでいた。中川家は、準決勝になってからようやく本気になっていた。
最終的に決勝に残ったのは、中川家、ますだおかだ、キングコング、ハリガネロック、アメリカザリガニ、フットボールアワー、チュートリアル、おぎやはぎ、DonDokoDon、麒麟の10組だった。
2001年12月25日、「M-1グランプリ2001」の決勝の日がやってきた。出場者は13時からステージで打ち合わせと簡単なカメリハ(カメラリハーサル)をして、その後衣装合わせをする。
そのうち楽屋の方が騒がしいので行ってみると、中川家の剛がいないという。あわてて探したが、どこにもいない。礼二に聞いてもわからないと言う。連絡も取れない。30分ほどして家に帰っていることがわかった。本番まで時間がありすぎて緊張感に耐えられなかったので、スタジオ近くにあった家にいったん帰ったらしい。そういうところは繊細なのか豪胆なのかわからない。
カメラが中川家の剛を撮っているので見ると、こきざみに震えていた。ふたりは今日何度目かわからないぐらいやったネタ合わせをまた始めた。兄貴に言われると、弟の礼二は黙って従う。舞台では礼二の方が偉そうにしているように見えるが、実生活では違った。
決勝戦では、トップバッターながら総得点829点で1位通過。最終決勝でハリガネロックを制して優勝した。
(本書から抜粋し再編集しています)