「反則」でも笑わせたら勝ち あえて「邪道」を歩むラパルフェはお笑いエリート
2人は中学からの同級生。大学は別だが、尾身が進学した早稲田大学のお笑いサークル「お笑い工房LUDO」に一緒に入会し、コンビを結成した。サークルの同期にはアンゴラ村長(にゃんこスター)がいた。さらに、同世代には令和ロマンやラランドらがおり、16年の大学お笑いの賞レース「大学芸会」では、彼らを破って優勝しているエリートだ。
注目されるのも早かった。コンビ結成翌年の19年に映画「トイ・ストーリー4」が公開されると、都留のウッディのモノマネがSNSで話題となり、同じ年に始まった「結婚できない男2」をきっかけに阿部寛のモノマネも開発。これらのネタで「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(フジテレビ系)などに出演し、知名度が急上昇した。
一方、尾身は顔が似ているため、堺雅人のモノマネを周りから勧められていたが、躊躇(ちゅうちょ)していた。都留の顔にインパクトがある分、自分が中途半端にやっても邪魔になるだけだと考えたのだ。だが、説得され、始めると大成功だった。
「いままで何もしなかったんで伸びしろがめちゃくちゃあって、めきめき面白くなって営業に行ってもこっちのほうがウケます」(YouTube「ニューヨーク Official Channel」24年9月1日)と都留は言う。ニューヨークのモノマネも、もともとのスタートは尾身による嶋佐の宣材写真の顔マネからだった。