元エアロビック日本代表の大村詠一さん語る1型糖尿病との闘い
大村詠一さん(元エアロビック競技日本代表/38歳)=1型糖尿病
「なんで大村君だけ保健室でアメをなめたり、ジュースを飲んだりしているの?」と、小学校のクラスメートは思っていたことでしょう。説明したくても、自分でもよくわからなかったし、説明してもわかってもらえない……と思って、病気のことは隠していました。
私が1型糖尿病を発症したのは小学2年生のときでした。風邪のような症状が続いて小児科を受診しました。母親が気になる症状として、毎晩トイレに起きること、水をガブ飲みすること、気持ちが悪くてケーキを食べられなかったことなどを挙げると、医師はピンときたようでした。尿検査と血液検査の結果は「小児糖尿病」。当時は糖尿病は大人がなるものと思われていたのでそう呼ばれていましたが、今で言う「1型糖尿病」のことです。
病院のロビーで母親が涙をこらえながら私に病名を教えてくれました。家族にも友達にもいない知らない病気でした。私は家に帰ることなく、そのまま父親の車で大きな病院へ連れて行かれ、入院になりました。
1型糖尿病は、膵臓が機能せずにインスリンが欠乏して慢性的に血糖値が高くなってしまう自己免疫疾患の一種です。本来ならば体が勝手にやってくれる血糖コントロールですが、この病気は必要なインスリン量を適切なタイミングで外部から取り入れなければなりません。そのためには自分自身で指先に針を刺し、その血液で血糖値を測り、インスリン注射できることが必須でした。
「え? 自分で針刺すの?」と驚きました。でも、それができるようにならないと退院はできません。1日に4回(朝昼夕食前と寝る前)の血糖値測定と、1日4~5回のインスリン注射を小2から30年間続けてきました。
今はありがたいことに腕などに血糖値の状態を測るセンサーを付けて、その値によって自動でインスリン注射される「インスリンポンプ」を装着しているので、煩わしい作業から解放されて快適な日々を送っています。
小学校では、ときどき保健室で血糖値を測り、給食準備中に教室にいないのでみんなに不信がられていました。5時間目に体育があるとインスリンが効き過ぎることもあり、低血糖でフラフラになりながら保健室まで行って補食をしていました。
みんなが「何で大村君だけ……」となる中、小5のときの担任の先生の提案に救われました。「フラフラしたあなたを見ているのに、『大丈夫?』と言えないクラスのみんなは幸せかな」という考えの下、10人のクラス全員がひとりひとり、困っていること、嫌なことを作文で発表する場をつくってくれたのです。
自分だけがカミングアウトするのは勇気がいるけれど、みんなが言う中のひとつだったので話しやすかったですし、人それぞれに「そうだったのか」と思える考えや事情があることを学びました。
習い事としてやっていたエアロビックからエアロビック競技に転向したのはちょうどその頃です。中学生になって少し活躍できるようになり、ある記者の紹介で転院し、それまでしていた食事制限をやめて、成長に必要な栄養はちゃんと取り、インスリンでしっかり調整する方法に変えました。
そして、高1と高2でジュニア世界チャンピオンになりました。ただ、日本代表の合宿ではトレーニングが過酷で血糖コントロールが大変でした。どうしても練習中に補食が必要でしたから、サボっているように見えたはずです。みんなと同じ状態で戦えないことが悔しかった。