夢と残酷の1980年代芸能史
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過去に戻れても…「おニャン子はやりません。違う人生を」
テレビではAKBに乃木坂、欅坂とたくさんのアイドルグループが活躍し、またNGT48の問題が大きく取り上げられたりしている。いつの時代も、形こそ違えど、アイドルがいる。 過去に戻れるとしたら、…
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現役アイドルへ「全部、月日が解決する。だから大丈夫」
年齢を重ねていくことの楽しみは、過ぎ去った時代の仲間との再会だ。あの頃が遠くなればなるほど、懐かしい。おニャン子クラブがアラサーになって再結成し、またステージに立つ日がくるなんて誰が想像しただろう。…
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1歳年下フジテレビ社員の彼が“観劇デート”後の車中で…
1980年代の芸能界、恋愛はタブーだった。人気が落ちるからと言われた。写真週刊誌に勢いがあり、芸能人は夜の光、カメラのフラッシュに怯えた。 おニャン子クラブの頃、私も「フライデー」されたこと…
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引退はマイナスだった…忘れ去られることは一番の致命傷
「1億って話が来てるよ」 事務所のスタッフから、とんでもない額のオファーを聞いた。宮沢りえさんの、若くて人気絶頂のときの写真集「サンタフェ」が社会現象になるほどの大ヒットして以降、二匹目のドジ…
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「芸能界に戻ろう!」それは辞める時より大きな決断だった
10代の頃、分刻みのスケジュールで眠る時間もないほど走り回っても、月給制で、給料はOLさんに毛が生えたくらいだった。 おニャン子クラブでは、グループの楽曲のほかにソロでも曲を出してもらったけ…
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放送作家の彼「タレントに手出した」という理由で丸刈りに
20歳になったのを機に、母と兄と住んでいた下落合から目黒に引っ越し、念願の一人暮らしをはじめた。 おニャン子クラブから卒業し、おニャン子も「夕やけニャンニャン」も終わり、いちタレントとして、…
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二十歳の誕生日…たったひとつの“おめでとう”が欲しかった
おニャン子クラブの卒業は基本、スタッフが決めていた。私は18歳のとき。 「新田、次のコンサートで卒業な」 まさに天の声だ。高校を卒業し、母と兄と共に上京した年の夏休みのコンサートで全国…
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「誰のおかげで飯食ってんだよ」同年代アイドルの怒声に…
埼玉の県立高校を卒業しブレザーの制服を脱ぐと、芸能事務所に入った。松崎しげるさんを筆頭に大場久美子さん、松本伊代さん、本田美奈子さん、少女隊ら先輩に豪華な顔ぶれが揃ったところで、勧められるがまま入り…
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ソロデビュー…愛川欣也さんからの花束に感情の糸が切れた
1985年、おニャン子クラブは毎週のように、メンバーが増えていった。渡辺美奈代ちゃん、渡辺満里奈ちゃん、工藤静香ちゃんらで、芸能界で生きていこうと本気で考えているのが伝わってきた。ごく自然に主力メン…
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素人丸出しの私にとんねるずタカさんはよくしてくれた
おニャン子クラブは、さながら女子高だ。フジテレビの控室に集合すると、わいわい、がやがや、場所もないほどで、私はトイレで着替え、化粧していた。 食堂でサインを考えるように言われて、皆、見よう見…
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疲労と人間不信…父の死も重なりハワイの病院で迎えた元日
初めてのファンは、都営新宿線曙橋の駅前で私を待っていた。新宿区河田町にあったフジテレビ社屋へとつづく、細い坂道の階段を並んで歩きながら、楽しく世間話をした。それが数人になり、10人を超えて、商店街の…
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豹変した生活…“芸能界で生きる”という現実を知った卒業式
私は何も変わっていないのに……。不二家のアルバイトをフジテレビに替えただけなのに……。時給380円とテレビの1回の出演料5000円を比べて、週5日、月にすると10万円! 当時の高卒女子の初任給とほぼ…
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時給800円のバイト生活が一変 出演料5000円にクラクラ…
「オーディション、受けてみれば」と先輩に言われたのが高2の夏。「オールナイトフジ 女子高生スペシャル」だ。 優勝すればハワイというその言葉に応募を決意した。特番3回には、1回だけ出演のメンバー…
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中3で父が病に倒れ…高校入学と同時にアルバイトを始める
私の生まれた1968年は187万人以上の子どもたちが生まれた。戦後のベビーブームほどじゃないにしても、住んでいた埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)は駅の両側にマンモス団地が並び、小学校は学区に7校、中学…
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芸能界で三十数年…あの頃に戻りたいとは思わないけれど
ことし7月に50歳の誕生日を迎えた。50代。相当大人のイメージを持っていたが、いざ自分がなってみると、30代、40代になったときと大して変わらない。とはいえ、10年後に60歳、さらに10年後には70…
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マネジャーをダミーにして人混みの中を駆け抜けたことも…
今では電車にも乗るし、路線にだってそれなりに詳しくなっている。しかしアイドル時代はまるで分からなかった。 上京して仕事をし始めた頃は普通にバスや電車に乗っていた。デビュー作となったドラマのリ…
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ヌード前夜は下着を着けずに寝るということも知らなかった
15歳で上京し、二十歳をいくつか過ぎるまで、仕事から仕事へと駆け回った。タレントの「大西結花」で1日24時間、1年365日間を過ごしていた。 少しほっと一息つけたのが、23か24歳になるくら…
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厳しい監視のもと…公衆電話で10円玉を重ねた初めての恋は
初めての恋は、二十歳をいくつか過ぎてからだ。中学卒業と同時に芸能事務所に所属し、上京して以来、恋愛禁止はこの仕事の必須条件だと言われ、当然のように受け入れていたし、恋愛したくても、歌番組の収録中に男…
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青春の1ページ 修学旅行で他校の生徒に見つかり大パニック
10代は男性とふたりでしゃべることさえ、いけないことだと言われていた。アイドルタレントを仕事にしている以上、恋愛禁止は当たり前と、それを疑うこともなかった。素顔で笑えるのは楽屋で同年代の女の子たちと…
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「スケバン刑事Ⅲ」が大ヒット 高校へ電車通学が不可能に
ドラマ「スケバン刑事Ⅲ」がはじまった1986年の秋、私は現役の高校生だった。撮影が関東地方の山中でのロケがメインだったこともあり、早い時は朝の4時ごろに家を出て、帰りは遅い時で深夜の2~3時。自分の…