豹変した生活…“芸能界で生きる”という現実を知った卒業式
新田恵利編<3>
私は何も変わっていないのに……。不二家のアルバイトをフジテレビに替えただけなのに……。時給380円とテレビの1回の出演料5000円を比べて、週5日、月にすると10万円! 当時の高卒女子の初任給とほぼ同額だと喜んだのがいけなかったのか……。
「夕やけニャンニャン」が始まり、「セーラー服を脱がさないで」がリリースされた1985年、埼玉の県立高校3年の私は、テレビの仕事とのギャップに驚き、体は従っても心はついていけないでいた。
当時付き合っていたラグビー部の同級生と、進路や将来について話したりしていたのが、デビューした途端、目の回るような忙しさが始まった。
月曜から金曜まで5時からのスタジオ生放送。放課後に電車を3本乗り継いで、新宿区河田町にあったフジテレビに着くだけで大変だったのに、1時間の番組が終わってからも雑誌のインタビュー、撮影、音楽番組の収録、レコーディングと続き、帰宅は深夜の2時を回るのが当たり前に。土日もコンサートのリハーサル、振り付けのレッスンなどあり、休みなど全くない。休みなんか、考えたりしているほうがおかしいという雰囲気だ。学校の授業で学んだ労働基準法の1日8時間労働など、何も役に立たない世界で、どこか違う国のことのように感じた。