桂才賀 大いに語る
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少年院の成人式祝辞は決まっている「こんどは刑務所だよ」
才賀が某刑務所の看守から聞いた「金庫破りのゲンゾウ」の話である。 「ある地方都市の信用金庫が新型の金庫を入れたのはいいが、営業課長が金庫に閉じ込められちゃった。金庫のマニュアル書を持って入った…
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<8>慰問は上から目線 芸で激励するからと「芸激隊」を結成
1990年代になると、才賀たちの慰問活動に賛同して参加する芸人たちが増えてきた。才賀と同じ海上自衛隊出身で津軽三味線の太田家元九郎、三遊亭歌武蔵の3人は、常々慰問という言葉に違和感を抱いていた。 …
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<7>刑務所でバカ受けする「シモネタ」所長や刑務官も笑う
才賀が初めて慰問に訪れた旭川刑務所は長期刑の囚人が収容されており、無期懲役の者もいる。 「そんな連中を笑わせるのに一番いいのはシモネタなんです。所長さんに『好きなようにやってください』と言われ…
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<6>慰問活動ではまくらに少年院用語を使って話に引き込む
1988年10月から才賀は久里浜少年院の篤志面接委員を務めている。どういう役職なのか。 「略して篤面と言いますが、早い話が少年たちの話を聞くカウンセラーです。各少年院が地元の坊さんとか、剣道の…
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<5>五社監督が「こいつはふっと怖い顔になることがある」
才賀は古今亭朝次と名乗っていた二つ目時代からテレビドラマに出演している。師匠の志ん朝が「鬼平犯科帳’81」(萬屋錦之介版)に出演した「用心棒」の回では、商家をゆするごろつき役で出た。そして、1982…
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<4>「朝次か。すばしっこい巾着っ切りみたいでいいな」
文治と同じ長屋に住む林家正蔵(後の彦六)が、80歳をすぎた文治が弟子を取ったと聞き、「弟子を取る齢か。脈取る齢だ」と言ったというのは有名な逸話である。 「その正蔵師匠が80すぎてから、時蔵、正…
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<3>潜水艦のスクリュー音識別するソナーマンに向いている
見事合格し、舞鶴101期生として入隊。訓練が始まった。私も長いこと演芸評論家をやっているが、弟子入り志願をした者に、師匠が「3年間兵隊に行ってくれば弟子にしてやる」と言ったことも、それを真に受けて、…
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<2>「3年間兵隊に行ってきたら弟子にしてやる」と言われ…
少年院の院長と幹部クラスの職員は2年に1度転勤がある。それにしても、才賀が慰問した沖縄と札幌の少年院の院長が同一人物だったとは驚きだ。 「野津院長とのご縁はこれで終わらないんです。それから2年…
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<1>少年院の院長から「院生に聞かせたい」と依頼された
桂才賀の名刺の肩書には、落語協会会員と並んで「法務省 矯正支援官」「警視庁 犯罪被害者支援室 講師」と記してある。少年院と刑務所の慰問活動を36年続けた結果で、名刺には書いてないが、久里浜少年院篤志…