<1>少年院の院長から「院生に聞かせたい」と依頼された
桂才賀の名刺の肩書には、落語協会会員と並んで「法務省 矯正支援官」「警視庁 犯罪被害者支援室 講師」と記してある。少年院と刑務所の慰問活動を36年続けた結果で、名刺には書いてないが、久里浜少年院篤志面接委員も務めている。どういうわけでこのような活動をするようになったか。慰問の裏話なども含めて、落語家人生を語ってもらった。
「初めての慰問は、かみさんの実家の沖縄でした。まだ二つ目で、古今亭朝次と名乗ってた1983年です。毎年夏休みに子供を連れて帰省してたので、10年も経つと遊びに行きたい所もなくなって暇を持て余してた。暇つぶしに老人ホームの慰問でもしようかと、沖縄県庁の高齢者福祉課に連絡しました。
その当時、あたしは『笑点』の大喜利メンバーでしたから、放送されてる沖縄では顔と名前が売れてた。ノーギャラで結構ですと言ったのがよかったのか、5日間、午前と午後の2回、多い時で3回、老人ホームを回ったんです。最終日に行く予定の施設の隣に沖縄少年院があって、青少年育成課の職員から『こっちにも行って欲しい』と頼まれ、慰問したのが最初でした。そこの院長の野津祥市さんという方と、その後不思議な縁でつながることになるんです」