<8>慰問は上から目線 芸で激励するからと「芸激隊」を結成
1990年代になると、才賀たちの慰問活動に賛同して参加する芸人たちが増えてきた。才賀と同じ海上自衛隊出身で津軽三味線の太田家元九郎、三遊亭歌武蔵の3人は、常々慰問という言葉に違和感を抱いていた。
「慰問というのはどうも上から目線のような感じがあって、我らのチームには合わないんじゃないかと。他に言い方がないもんかと話し合いました。あたしらは芸で激励する活動をしているのだから、『芸激隊』というのはどうかと提案したら賛成してくれて、1993年に発足。あたしが隊長で、元九郎が副隊長、歌武蔵が幕僚長です。先年、元九郎が亡くなってからは歌武蔵が副隊長に昇格しました」
大勢の芸人が芸激隊に加わった。全員がノーギャラを承知で出演するが、問題は交通費である。メンバーが増えれば交通費まで才賀の自腹というわけにはいかない。
「交通費を浮かせるために、自衛隊を激励することにしました。刑務所と少年院の近くにある基地を訪ねることにすれば、移動に自衛隊機が使える。これはOBの特権ですな。基地の慰問を終えると、刑務所から車で迎えに来てくれる。これが護送車でして、20人ほど乗れるマイクロバスです。芸人たちが護送車の中で弁当を食べたり、たばこを吸ってると、並走するバスの乗客が不思議そうな顔で見るんです(笑い)。囚人がそんなことしていいのと訝るんでしょう。面白がってたら、運転してる所員に『カーテンを閉めてください』って言われました」