増位山太志郎 多芸多趣味は老い知らず
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<20>カメラの収集に凝った時は、有楽町の中古カメラ店通いを
前回の刀の収集についての続きから。 何に引かれて、高価な刀を集めているか不思議に思う方もいると思います。これは目の当たりにしてみないとわからないのですが、最初、真剣を見た時はその妖しさに震え…
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<19>お宝は名刀「備前長船住景光」大阪相撲の曽祖父・玉の森から代々で刀好き
僕はいろんなものの収集にも凝りました。一番は刀剣ですね。高価なので追っかけ始めたらお金が大変ですけどね。いいものになると何千万円もするものがありますから。 ■かつて横綱の太刀は本身が入っていた…
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<18>6年前に相撲部屋の土俵そのままのちゃんこ屋を始めました
今回は「ちゃんこ増位山」の話を。 1981年の3月場所で引退し、日本相撲協会で2012年まで長い間、審判部副部長を務め、13年に定年退職しました。三保ケ関部屋は9代目の親父が辞めた後、10代…
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<17>中高年になってからの絵の趣味は手先を使い、ボケ防止に
絵を描くようになって私がお世話になったのは二科会の中山三郎先生ですが、当時、会長を務めておられたのは洋画家として有名な東郷青児先生でした。東郷先生にもよく目をかけていただきました。 先代増位…
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<16>最初はリンゴやミカンを描いていたけど力士を書くようになった
絵を描くようになって銀座で個展をやっていた時のことです。 エステで働いているという30代の女性が2、3人やって来て、「私たちが小学生の頃は絵、図工とか体育、音楽が好きな人のことを『増位山流』…
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<15>サックスを独学で習得!スマホのサイトが僕の先生です
サックスは高い音から低い音までソプラノ、アルト、テナー、バリトンとかいくつか種類があります。 日本人のテナーサックス奏者として有名な松本英彦さんが使っているのはフランスのメーカー、セルマーの…
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<14>昔買ったサックスを引っ張り出して始めたら面白くてハマってます
今一番凝っているのはサックスです。なんでも興味があるけど、歌も好きだし、音楽好きということですね。 最初はトランペットです。買ったのはバックというプロが吹いているようなアメリカのメーカーの高…
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<13>コロナ前にはカラオケを一晩で30~40曲歌ったこともあります
相撲と歌謡界は僕にとってはどう違うか。当然だけど、まったく別物です。相撲界は強くならないと屁でもない。番付が上がらないとどうにもならないから。だけど、素質があって努力したらその分だけ成功する可能性は…
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<12>美空ひばりさんが親父に「結婚してるの?」大物歌手でも気さくに話しかけてくれた
歌手としてテレビに出るようになって、美空ひばりさんともテレビ東京の番組で共演したことがあります。その時はうちの親父も北の湖さんも出演したように記憶しています。 ひばりさんの歌をギターで伴奏し…
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<11>増位山太志郎「そんな女のひとりごと」が130万枚の大ヒットで夢見心地
「そんな夕子にほれました」から3年後の1977年に出した「そんな女のひとりごと」がまたヒットしました。130万枚も売れました。もう夢見心地です。「ノンちゃん雲に乗る」がドラマ、映画になって鰐淵晴子さん…
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<10>歌は水物です…「そんな夕子にほれました」はヒットすると思っていなかった
子供の頃は力士より歌手になりたいと思っていたことは前にお話ししました。先代増位山の親父も歌が好きだったことと力士から演芸評論家になった小島貞二さんに勧められたのがキッカケで「いろは恋唄」(1972年…
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<9>相撲を楽しむ審判や判定の見方…行司差し違えが多いのはなぜか
今回は相撲を面白く見るために審判、判定についてお話しします。 先代増位山の親父も引退してから検査役、今の審判員を長くやりましたが、僕は貴ノ花さんと同じ年に辞めて1年間、相撲協会の記者クラブ付…
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<8>親子2代の大関 スポーツ記者も芸能記者も集まってすごい数に…
今回は私の大関時代のことや先代増位山のことをお話しします。 私の同期は(同じ三保ケ関部屋の)北の湖さんで1967年1月場所で一緒に初土俵を踏みました。北の湖さんが横綱になったのは74年の9月…
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<7>「おい、大関の椅子が一つあいたぞ」の一言でスイッチが入った
人間は出会いというのも大切だね。出会ったことをきちんと認識できるかは、人生の分かれ道だと思います。僕の場合は、最初は高校時代。水泳で大学に引っ張ってもらうか迷っていたら、先輩が「好きな道に進んだ方が…
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<6>真冬の朝4時、霜が解ける一番寒い時間は膝下の感覚がなくなった
先代(増位山)の親父の育て方は納得しています。 日大一中・一高時代は部活(水泳部)から帰って家でへたばっていたり、夜遅く帰ったりして、よく怒られました。怖かったですよ。 ところが、力…
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<5>親方の息子は出世しないといわれているのを知らずに力士の道へ
今回はうちの話をしたいと思います。 親父の先代増位山(大志郎)は兵庫生まれで貧乏だから、大阪の米屋に奉公に出て相撲の世界に入り、大関になった人ですが、僕の一家はおふくろの祖父も力士なので僕は…
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<4>場所が終わると拍子抜け…日本人の体には相撲が染みついている
今回からは本職だった相撲について、これまでの経験で感じていることをお話しします。 名古屋場所(7月)は7場所ぶりに出場した白鵬が優勝(全勝)したけど、常々思っているのは相撲は横綱がいなくても…
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<3>個展に花を添えるためにりんごやみかんをデッサンしてみた
3枚目で出した「そんな夕子にほれました」がヒットして、もっとも厄介だったのが男社会のやっかみ、嫉妬です。当時は僕の他にも横綱の北の富士さん、関脇だった長谷川さんがレコードを出していましたが、売れてい…
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<2>「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と周囲から勘違いされた
好きなこと、興味があることにはだれでも夢中になれる。それを大切にしてほしいですね。 幼少からの歌好きが進学した日大一中でさらに加速していきました。その頃からポール・アンカとかニール・セダカと…
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<1>コロナ禍で運動もしないから1日4、5時間サックスを吹いてます
相撲、演歌、絵画、さらにちゃんこ店の経営と増位山太志郎さんの活躍の場は多彩だ。初の親子2代の大関になり、歌手としては「そんな夕子にほれました」で130万枚を超えるヒットを飛ばし、二科展では入選の常連…