元代表とスタッフが明かす「WBCの内幕」
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2005年のWBC開催発表時は「不参加表明」も…野球の“五輪競技除外”決定で空気一変
「隔世の感があります。当時は世間的にもWBCっていったい何なの? というムードはあったし、当初は不参加の可能性があったのですから」 2005年5月、MLBはWBCの開催を発表。しかし、日本では…
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“世紀の誤審”で批判浴びた技術委員が明かす 米国に敗れた日本が「0.01」差で準決勝に進んだ顛末
「山中技術委員、提訴せず」 2006年春。第1回WBCのアジア代表技術委員として渡米した山中氏(横浜ベイスターズ専務)は、日本でスポーツ紙を読んだ家族から、「こんなことが書かれているけど、一体…
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秋山翔吾は強化試合で右足小指骨折も…小久保監督からオランダ戦スタメンを告げられた
2017年大会に出場した秋山翔吾は、右足の第5指骨折をおしてプレーしていた。 3月に入ってすぐ行われた強化試合の阪神戦で死球を受けた。大阪の病院で検査を受けると「打撲」との診断だった。 …
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22歳の涌井が驚いた2009年決勝V打イチローの冷静「あの場面でガッツポーズしないなんて」
日本が2006年大会に続いて連覇を達成した09年大会。当時、西武に在籍していた涌井は22歳の若さで代表入りを果たした。 同い年のダルビッシュ(日本ハム)や2歳年下で代表最年少だった田中将大(…
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広島・菊池涼介は2017年WBCで“天国と地獄”を味わう…「本当に申し訳なくて」
「とにかくコミュニケーションを取ることが大事です」 2017年大会の侍ジャパンメンバーは仲が良かったという。 「いまカープで一緒になった秋山(翔吾=西武)さんを(中田)翔(日本ハム)とい…
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牧田和久(2)オランダ戦ではタイブレークでメジャーリーガー相手にゼロ封
侍ジャパン史上、歴代屈指の激戦といっていい。 2017年大会。日本は1次ラウンドを3連勝し、3月12日の2次ラウンド初戦でオランダと対戦した。 オランダは下馬評では伏兵的な存在だった…
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牧田和久(1)13年台湾戦 日本を救った“決死のダイビング”を国際大会のスペシャリスト語る
2013年2月。宮崎市内のホテルで行われた代表ミーティング。主将に任命された阿部慎之助(巨人)をはじめ、田中将大(楽天)ら錚々たる28人の代表メンバーが一堂に会した。 当時28歳。プロ1年目…
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本多雄一は2013年大会で控え扱い「準備は怠らなかった。途中出場でも100%の力を出さなきゃ」
チームでは不動のレギュラーでも、代表に入ると控えに甘んじる選手が出てくる。本多もそのひとりだった。 2007年にソフトバンクの正二塁手に定着し、10、11年は打率.296、同.305とバット…
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藤田宗一(2)第1回大会では王監督の「言霊」でベンチの雰囲気が一変、チームが一つに
第1回大会で指揮を執った王貞治監督(現ソフトバンク会長)。当時は大会が創設されたばかり。旅行気分というか、フワフワした気持ちで臨む選手も少なくなかったが、チームを一つにしたのが王監督だったという。 …
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藤田宗一(1)イチローが第2R米国戦前に飛ばしたゲキの効果「僕が1打席目に本塁打を打つ」
「当時はどんな大会かも分からず、何をしに行くんだろうと……」 2006年の第1回大会に出場した藤田宗一氏(50)がこう振り返る。 今でこそ多くのプロ野球選手が「出たい」と憧れるWBCだ…
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橋上秀樹(3)2013年大会準決勝プエルトリコ戦 八回「重盗」失敗の苦すぎる教訓
東京ラウンドを勝ち上がった日本は準決勝のプエルトリコ戦(サンフランシスコ)に向けて、まずはアリゾナ州フェニックスで時差調整を行った。現地時間3月13日に同州に入り、17日の本番までにジャイアンツ、カ…
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橋上秀樹(2)「慎重になり過ぎて思い切ってバットを振れない選手が多かった」
ヤフオクドーム(現PayPayドーム=福岡)で行われた第1ラウンドはキューバに敗れて2勝1敗。2位で第2ラウンドに駒を進めた。 格下のブラジル、中国が同組だっただけに楽勝と予想されながら、苦…
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橋上秀樹(1)2013年大会の舞台裏「オランダのデータ集めではバレンティンに頭を下げました」
「全てが手探り状態のまま始まり、あっという間に終わってしまった感じでした」 2013年大会で戦略コーチを務め、現在はBCリーグ新潟を率いる橋上秀樹氏(57)が当時を振り返った。 12年…
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オリックス守護神・平野佳寿 プライドを傷つけられた2017年大会1次Rキューバ戦の“事件”
2017年大会で、秋吉(当時ヤクルト)と並ぶ最多6試合に登板。1勝0敗、防御率3.38の成績だった。そんな平野がプライドを傷つけられた“事件”とはーー。 ◇ ◇ ◇ 6試合中、5…
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ソフトB馬原孝浩 09年大会の準決勝で投げた頃にはフォークイップスになっていた
元ソフトバンクの守護神で現在は「火の国サラマンダーズ」の監督を務める馬原孝浩氏(41)が出場した2度のWBCを語る後編は、滑るWBC球に対応するため、どんな対策を取ったのか。2009年大会で大フィー…
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ソフトB馬原孝浩 第1回大会緊急招集の一部始終「パスポートがない!」で寮を大捜索
2006年3月に行われた第1回WBC。王貞治監督率いる日本代表は、東京ドームでの1次リーグを2位で突破し、2次リーグ以降の舞台・米国へ飛んだ。 そんな日本にアクシデントが発生した。 …