ソフトB馬原孝浩 第1回大会緊急招集の一部始終「パスポートがない!」で寮を大捜索
馬原孝浩(2006、09年大会出場/現・火の国サラマンダーズ監督)
2006年3月に行われた第1回WBC。王貞治監督率いる日本代表は、東京ドームでの1次リーグを2位で突破し、2次リーグ以降の舞台・米国へ飛んだ。
そんな日本にアクシデントが発生した。
石井弘寿(ヤクルト)が左肩に違和感を訴え、帰国することになったのだ。代替選手としてソフトバンクの守護神・馬原孝浩(41=現・火の国サラマンダーズ監督)の緊急招集が発表されたのは3月9日。米国での2次リーグが始まる同12日のわずか3日前のことだった。馬原監督が回顧する。
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「まず王監督のマネジャーから(ソフトバンクの)寮長に『王さんが馬原を呼んでいる。すぐに飛んでくれ』と電話があったそうです。日本はオープン戦期間中で、僕は寮にいた。寮長から電話で『パスポートを持ってすぐに出発してくれ』と言われ、『分かりました』と部屋でパスポートを捜したけど、どこを捜しても見つからない。途中から後輩と部屋中をひっくり返しても出てきませんでした」
■たまたま手を入れたジャケットのポケットに
携帯電話を持って「すみません! 捜したけどありませんでした!」と寮長に折り返しながら、何十着か持っていたジャケットの一着の内ポケットに何げなく手を突っ込むと、いつしか入れっ放しにしていたパスポートが見つかったのだ。
「本当に奇跡でした。急いで荷物をまとめて福岡から東京へ。大使館に駆け込んでビザを発給してもらい、成田からロサンゼルスへ飛びました。飛行機のチケットは球団の方が手配してくれましたけど、それ以外は全部1人。飛行機も1人で乗って米国へ向かいました」
ロサンゼルスに到着すると、王監督から「おつかれさん。来てくれてありがとう」とねぎらわれたのも束の間。こう言われ、凍り付いたという。
「寮でパスポートが見つからなくて大騒ぎしたらしいな」
大捜索した話はすでに米国にいる王監督の耳に入っていた。
「『見つかって良かったです』と言えたから笑い話で済みましたが、もしあのまま見つかっていなかったら……。王監督の顔をつぶすことになるし、その後、ソフトバンクで気まずくなっていたでしょう」
以降、日本代表の選手と予備メンバーには、あらかじめパスポートを準備しておくよう指導されるように。「今は侍ジャパンの職員に預ける形になっているはずです。恐らく僕のパスポート事件が発端です」と頭をかく。