プロ野球名選手 心に響くひと言
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元阪急投手・足立光宏「騒げ騒げ、もっと騒げ。たかが野球じゃないか」
球団創設から32年目の1967年、念願の初優勝を飾った阪急はこの年を皮切りに68年、69年、71年、72年とV9時代の巨人と日本シリーズで5度対戦した。しかし、阪急にとって巨人は、挑めども挑めども何…
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江藤慎一の流浪のプロ人生 監督が6畳一間のアパートに「野球さえできれば何でもええんじゃ」
1959年に中日に入団して64年、65年と2年連続で首位打者を獲得。ロッテに移籍後の71年にも首位打者となり、史上初の両リーグ首位打者となったのが江藤慎一だ。 64年、王貞治が本塁打、打点の…
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球界の寝業師・根本陸夫が呪縛解き初優勝を呼び込んだ一言「王くんはな、ラーメン屋のせがれだよ」
法政大から社会人を経て1952年、近鉄パールスに入団。選手としてはわずか4年の実働だったが、その後、コーチや監督、あるいは球団幹部としてトレードやドラフト指名で辣腕ぶりを発揮し「球界の寝業師」と呼ば…
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元阪急投手・山田久志“史上最高のサブマリン”の矜持「負けた時に記事になるのが真のエース」
歴代7位の通算284勝を記録。「史上最高のサブマリン」と称されるのが阪急黄金時代を築いた大エース山田久志だ。 アンダースローで下から浮き上がるストレートにカーブ、スライダー、シュートと投じた…
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元阪急西本幸雄監督は8度のリーグVも日本一叶わず…「悲運なんて言ったらあいつらに失礼だよ」
1960年代から80年代にかけて20年間に及ぶ監督生活で大毎、阪急、近鉄とパ・リーグ一筋に合計8回のリーグ優勝を記録、歴代6位となる監督通算勝利1384勝をマークしたのが西本幸雄だ。 手抜き…
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元オリックス仰木彬監督が巨人を戦力外になった清原和博に“直電”し移籍を口説いた
1980年代の甲子園での大活躍からプロ入りし2008年を最後に現役を引退、そしてさらにその後まで、いい意味でも悪い意味でも野球ファンにさまざまな話題を投げかけたのが清原和博だ。高卒新人として1986…
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元阪急・高井保弘 圧巻の予告決勝弾「俺が決めちゃる。おまえは道具持ってバスで待っとけ」
1981年9月3日の阪急対西武戦、2対2の同点で迎えた九回裏に阪急の高井保弘が試合を決めるサヨナラ本塁打を放った。それは、現在でも世界記録となっている通算27本目の代打本塁打だった。 愛媛の…
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衣笠祥雄は左肩を骨折しながらフルスイング「1球目はファン、2球目は自分、3球目は西本君のために」
1987年、当時の世界記録である2215試合連続出場を樹立し、王貞治に続くプロ野球選手2人目となる国民栄誉賞を受賞した。17年にも及ぶ連続出場記録ももちろん偉大だが、70年代後半から80年代にかけて…
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元東映・ヤクルト大杉勝男 200HR偉業達成前に引退「この1本を皆さまの夢の中で打たせていただければ…」
1960年代のパ・リーグで「駒沢の暴れん坊」と呼ばれた個性豊かなチームが日本ハムの前身・東映フライヤーズ。張本勲、山本八郎、白仁天ら他球団から恐れられた武闘派が顔を並べる中、親分格の張本に「ケンカに…
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巨人V9の功労者 城之内邦雄は川上監督に嫌われ“当て馬”に…「おかげで辞める踏ん切りがついた」
1965年から73年までの巨人V9に欠かせない投手のひとりが城之内邦雄だった。 「9連覇の始めの4連覇は俺がやった」 確かに城之内の力投がなければ、9連覇は成し得なかったはずだ。 …
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元ヤクルト鈴木康二朗 世界記録の756号を浴びた投手の意地「王さんに打たれて頑張れた」
WBCの日本の優勝に全国が熱狂したが、今から46年前の1977年も日本中がプロ野球の話題で大いに盛り上がった。 巨人の王貞治がハンク・アーロンの持つ通算本塁打の世界記録をまさに破ろうとしてい…
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元近鉄監督・梨田昌孝「おまえたちがつけている背番号はすべて近鉄バファローズの永久欠番だ」
シーズン真っただ中の2004年6月13日、球界に激震が走った。日本経済新聞が朝刊の1面で経営の行き詰まった近鉄にオリックスが合併を持ちかけ、近鉄が合意したことを報じたのだ。スポーツ紙ではない一般紙の…
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巨人元監督・藤田元司は大ケガを負った吉村の復帰に「一方が悪者になったままじゃいけない」と言った
その不幸な「事故」が起こったのは1988年7月6日、札幌円山球場の巨人—中日戦。八回、中日・中尾孝義の打球を追った左翼・吉村禎章と中堅・栄村忠広が交錯し、吉村が左ヒザの4本の靱帯のうち3本を断裂、神…
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東映元コーチ・飯島滋弥が大杉勝男の才能を開花させた「あの月に向かって打て!」の名ゼリフ
かつて飯島滋弥という選手がいた。戦前、旧制千葉中時代に甲子園に2度出場、慶大に進学して一塁手として活躍した後、野球から離れていたが、戦争が終わると「これからは野球の時代が来る」と再びトレーニングを開…
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近鉄元監督・別当薫は悩める「18歳の4番打者」土井正博を静かな声で励ました
1961年、近鉄に大阪・大鉄高(現阪南大高)を中退して入団した17歳の選手がいた。土井正博だ。 有力校の多い大阪でも一、二を争う強豪チームで1年生ながら打線の中心として活躍していた土井に注目…
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広島・外木場義郎はノーノーでプロ初勝利 快挙達成後「なんなら、もう1回やりましょうか」
創成期のプロ野球で数々の伝説を残した沢村栄治と並び3回のノーヒットノーラン、しかもそのうちの1回は完全試合という、沢村をも上回る偉業をやってのけたのが広島の外木場義郎だ。 鹿児島・出水高校か…