「東京凸凹散歩 荷風に習って」大竹昭子氏
永井荷風が大正3年の8月から翌年6月にかけて執筆していた「日和下駄」は、街歩きの草分けとも言える散歩エッセー。「坂」や「路地」や「寺」など、11テーマに分けて街歩きの成果が紹介されており、ただぶらぶらと散歩するだけでは気づくことのできない、東京の地勢の表情が浮き彫りにされている。
「荷風が歩いた街を、異なる時代に生きる自分が歩くことでどんな風景が見えて何を感じるのか。そんな試みをしてみたのが本書です。私は20年以上四谷に住んでいますが、荷風が『日和下駄』を執筆した頃、四谷からほど近い余丁町(現在の新宿区曙橋駅付近)に住まいがあったことを知り、非常に親近感がわきました」
現在、多くの幹線道路は起伏をよけて“尾根”か“谷”に沿って造られているため、そこだけを通っていると東京は平坦な街に感じられる。しかし、主要な道路から一歩外れると、坂道だらけの街であることが分かってくる。
「尾根道と谷道を結ぶのが、坂道です。そして東京は、尾根と谷が複雑に行き交う地形ゆえに、坂道が多いのです。とくに、皇居の北と西に伸びている道路は、尾根道と谷道が順番に並んでいるので面白いですよ。一番北の本郷通りは尾根道で、ここから西南の方角に向かって順に見ていくと、隣の白山通りは谷道、春日通りは尾根道、音羽通りは谷道。その後も一番西の新宿通りまで、ほぼ交互に尾根道と谷道が現れます」
荷風の時代とは違い、現代の東京では大通りの両側にビルが密集し、屏風のように地形を隠してしまっている。しかし、起伏を意識しながら坂道を歩いてみると、街全体の規則性も分かってくる。車や電車に頼っていては感じることのできない、街歩きの醍醐味だ。
「谷道には必ず“出口”があり、低い方にたどって行けば海に出ます。完全に閉じているすり鉢状の谷というのはあり得ません。しかし、荷風にとっても馴染みの街だった四谷の荒木町には不思議な場所があり、策の池と呼ばれる窪地の全方位が高く、すり鉢状になって閉じているんです。かねがね不思議に思っていましたが、街歩きの最中に、ある建物で隠されていた裏手に同じような窪地が広がっていることを発見しました。調べてみると、荒木町は江戸時代、松平摂津守の屋敷であり、庭に池を造るために土盛りをして人工的に谷の形状を造り替えていたんです。歩く楽しさは見いだす楽しさでもあり、五感が鍛えられ、知的な遊びにもなります」
本書を読んで東京の街歩きをしてみたいと思ったら、すぐにでも始めて欲しいと著者は言う。
「今、東京はオリンピックの準備で、街中で建物の解体と再建築が行われています。つまり、地形を隠していたビルがあちこちで取り払われ、その瞬間、荷風の時代の見通しの良い風景が現れているわけです。のっぺりとした街だと思っていたら、ビルの向こうに谷が! するとこっちは尾根だったのか! などという発見もある。この瞬間を見逃す手はありません」
テーマを掲げて街歩きをすると、見慣れた場所でも違った体験ができる。例えば、“のりしろの街探し”だ。
「駅が隣り合う池袋と目白。東京に長く暮らしていれば、それぞれの街のイメージはすぐに頭に浮かびます。それでは、池袋と目白の境目の、“のりしろ”の部分はどんな表情の街なのかと聞かれたら、分からない人が多いのでは?」
無限に広がる街歩きの楽しさ。帰宅途中に、ちょっと寄り道してみたくなる。
(亜紀書房 1800円+税)
▽おおたけ・あきこ 1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒業。小説、写真、エッセー、批評などジャンルを横断して執筆。「図鑑少年」「ソキョートーキョー」などの小説作品や、写真関連作品の「彼らが写真を手にした切実さを」「須賀敦子の旅路」など著書多数。