「悪の五輪」月村了衛氏
舞台は、五輪開催を翌年にひかえた昭和の東京。公式記録映画監督に決まっていた黒沢明の突然の降板から、後任に市川崑が決定するまでの間に暗躍する者たちのドラマを、実在の大物ヤクザや戦後最大のフィクサー・児玉誉士夫、映画界のドン・永田雅一などを登場させ虚実織り交ぜて描いたクライムノベルだ。
「映画界を中心に実在の人物を出そう、というのは最初から決めていました。今ですら、アイドルグループをめぐる闇といった問題が出てきますが、この時代の映画界、芸能界というのはその比ではないくらい、とんでもない話がたくさんあるんですよ。私はもともと映画好きで山のように関連本を集めていましたし、某映画会社で当時撮影所長だった人と偶然飲み屋で知り合ったりして、直接いろいろな裏話も聞いています。例えば市川崑が有馬稲子にした所業など、今では一部知られているものの、本当はもっとたくさんあるはず。本作ではそういう映画界にまつわるあれこれを、架空の三流監督・錦田に投影しました」
主人公は元戦災孤児のチンピラヤクザだ。親分に命令され、黒沢の後任に三流の錦田をねじ込むことで、オリンピック関連の莫大な利権に食い込もうと奮闘する。物語前半のキーパーソンは、喧嘩屋として名をはせた伝説のヤクザ・花形敬。後半には若き日の若松孝二が登場する。
「花形に不条理な自傷癖がある、というのは私の創作です。彼は『戦争で死ねなかった』という苦しみを抱えていますが、これは当時のある種、普遍的な人間像だと思います。戦後の日本が抱える矛盾を彼に体現してもらいました。若松孝二が、五輪開会式当日、撮影時の俳優事故死が発覚して警察に呼び出されていたというのは事実です。自伝に、『担当警官が調書をとりながらテレビで開会式を観ていた』と書いてある。もう、絵として面白いですよね。彼らをはじめ、登場人物たちは熱狂する五輪の裏側に、取り残されている。時代からこぼれ落ちていくものの視点に、私は引かれるんです」
映画界を軸にしながらも、本作では、労働者に蔓延するヒロポンや、警察の腐敗、五輪を盾にした傷痍軍人の追放、私利私欲にはしる政治家、「第三国人」への差別など、戦後日本の歪みや闇が描かれる。物語終盤、主人公の「日本は戦争で多くの物を失った。そして代わりに何を得たのか。オリンピックという名の馬鹿騒ぎだ」という独白が象徴的だ。
「当時のことを書きつつも、背景には現在の日本に対する怒りが煮えたぎっています。これだけ格差が広がり、多くの人が苦しんでいるこの現状は一体何なんだ、と。本作で描いた状況を、五輪開催まで1年となった今の日本にも置き換えられるでしょう。まさに『歴史は繰り返す』です。人が権力をもてば腐敗が始まるというのは、残念ながらどの国や地域でも同じです。小説家が政治的主張をすべきか否かについてはいろいろなスタンスがありますが、私はダイレクトにではなく、作品を通じて訴えるべきだと考えています。あくまで読者が面白く読める物語として、そこから伝わるものがあればいいですね」
(講談社 1600円+税)
▽つきむら・りょうえ 1963年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2010年「機龍警察」で小説家デビュー。「機龍警察 自爆条項」で日本SF大賞、「機龍警察 暗黒市場」で吉川英治文学新人賞、「コルトM1851残月」で大藪春彦賞、「土漠の花」で日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に「東京輪舞」などがある。