「タマ、帰っておいで」 横尾忠則著
2014年の5月31日の深夜0時20分ごろ、横尾家の愛猫タマ(正式名はタマゴ)が息を引き取った。タマは15年前、横尾家の庭に現れた何匹かの捨て猫の一匹で、彼女だけが自ら人間に飼われることを選び、家の中に入ってきた。以来、横尾家で自由気ままに暮らしていた。そんなタマのことが忘れられず、その喪失感に耐えてきた著者が、事あるごとに描き続けたタマの絵を編んだ「レクイエム」画集。
ぶち模様で、横分けのような「髪型」や塗り分けたように一色の尻尾など、個性的な柄のタマ。表紙のタマは、死の約2週間後に描かれたもので、著者を見上げるようなその寂しそうな目が印象的だ。落ち着いた老猫のたたずまいで、まるで著者に別れの挨拶をしているかのようだ。
しかし、若い頃のタマは、家の中では他人行儀で、すれ違っても知らんぷりをしているが、外で会うと人が変わったように愛想がいいし、礼儀正しかった。ある朝など、庭で日光浴中のタマに会ったら、立ち上がって何度も何度も著者にお辞儀をしたという。タマのそんな「ツンデレ」ぶりが絵からもうかがえる。
一方で、客人があると急に騒々しくなって訳の分からぬパフォーマンスをしたというタマ。そのパフォーマンスのひとつだろうか、ガラス戸を駆け上がって鴨居にぶら下がったような後ろ姿の絵もある。
他にも、庭での日光浴や、玄関先の牛乳の配達箱の上にちょこんと乗った姿、紙袋の中に入り込んでの毛づくろい、そしてお気に入りの引き出しの中でくつろぐ姿など、在りし日のタマの思い出とともに描き残す。
家の中では他人行儀だったタマも、年をとると人恋しくなったのか、食卓やトイレ、風呂、ベッドまで著者の後をついてまわるようになった。
テレビのリモコンでお尻を「とんとん」と叩かれるのが好きで、リモコンを見せるだけで走り寄ってきたタマのために、リモコンを一緒に描いた絵もある。
タマを失い眠れぬ夜、夢うつつの中でタマの鳴き声を聞いて跳び起きる、そんな現実と非現実が交錯する日々。「タマの死を描くことは自らの死を描くことでもある」と、ひたすらに筆を動かし、体調を崩し入院中の病室でもタマを思い、タマの絵を描き続ける。薬袋や病院食の配膳カートなど、リアルな画家の暮らしの一端が取り込まれたコラージュ風の作品もある。
春、裏庭に出現する桜のカーペットの上を悠々とグラマラスに歩くタマや、主人が脱ぎ捨てた洋服の上で安心しきって眠るタマなど、まるで記憶の中のタマのすべてを具象化したかのように、ひたすらにタマへの愛を描いた91点。
タマの死をようやく受け入れたかのように、最後に収録されているのは、死の直後、声なき声で慟哭しながら描いたタマの亡きがらの絵だ。
あとがき代わりに添えられたタマから著者へのラブレター(もちろん著者の代筆)が泣かせる。
(講談社 2200円+税)