「エゴ・ドキュメントの歴史学」長谷川貴彦編
「エゴ・ドキュメント」とは一人称で書かれた資料を示す歴史用語で、手紙、日記、旅行記、回想録、自叙伝といった形態の史料が対象となる。公的な記録からではなく、語り手の視点から外側の世界を見ることでこれまで気づかなかった側面に光が当てられる。一方で主観的な思い込みや記憶違いといったことも入り込んでくるのでその扱いには慎重を要する。
本書には、中世末期イタリアの魔女裁判における証言の改ざんと修正、18世紀フランスの書簡体小説、江戸末期の遊女の日記、第2次大戦末期のドイツにおける「噂」など、8人の研究者による8つの論考が収められ、エゴ・ドキュメントの多様な形態とその新たな文脈による読み解きを示した共同研究である。
たとえば16世紀初頭、ローマ北部の小都市でベレッツァという女性が、魔術によってある人物を殺害したとして魔女裁判にかけられた。当初は否認するが拷問によって魔女であると自白、最後は自死してしまう。ベレッツァは当時の民衆女性としては珍しく読み書きができ、自ら「告白」を書いたのだが、それを審問記録に転写する際に大幅な改ざんが行われた。
要するに、当時の社会規範に沿う形で彼女を魔女に仕立て上げたことがわかる。
一方、江戸の遊女たちの日記も意図は違うが、やはり役人によって書き換えられていた。江戸末期、新吉原の遊郭の抱え遊女16人が共謀して店に放火し、直後に名主宅に駆け込んで自首するという事件が起き、その調書が残されている。その調書の基になったのが遊女たちが書いた日記だ。そこには店主の横暴、暴力、搾取ぶりがつづられている。遊女たちが書くのは簡単な漢字が交じった平仮名の未熟な文章で、それを役人が漢字に変換し添削しているのだ。
ベレッツァも遊女たちも稚拙な文字と文章とで自分たちが置かれた境遇について訥々(とつとつ)とつづっていく。そこからは「魔女」や「遊女」という一般名詞にくくられない、血の通ったエゴ(自己)の声が聞き取れる。 <狸>
(岩波書店 3000円+税)