「鍋かむり日親」理崎啓著
戦後の文学・芸術運動においてユニークな評論活動を続けた花田清輝の生前最後の本は「日本のルネッサンス人」である。西洋のルネサンス論を論じた「復興期の精神」でデビューした花田が日本のルネサンス論で幕を閉じるというのはいかにも花田らしい。
その中に「本阿弥系図」という文章がある。安土・桃山から江戸初期にかけて活躍した本阿弥光悦を論じたものだが、雑誌初出のタイトルは「鍋かむり」だ。光悦の曽祖父・本光が将軍足利義教から預かっていた刀を3度までも鞘から刀身を抜けさせてしまい、怒った義教が本光を投獄した。その獄には法華宗の僧侶、日親も投獄されていて、手酷い拷問にもかかわらず決して己を曲げない日親の姿を見て、本光は法華宗に帰依することになる。
日親に対する拷問は凄まじく、夏の炎天下に引き出し目の前で薪を積んで燃やす、極寒の日に裸にして木に縛る、はしごに結び付けて口から大量の水を流し込む、竹の串で陰茎を刺し、さらには焼いて真っ赤になった鍋を頭にかぶせる。これにはそばにいた獄吏もさすがに顔を背けたという。「鍋かむり」という異名はここからきている。
なぜ日親はかくも酷い拷問を受けねばならなかったのか。本書はまず仏教が国家との関係をどう捉えてきたのかを概観し、次いで日親の師である法華宗の開祖日蓮が時の政治権力とどう対峙したのかを見ていく。
そこから浮かんでくるのは、日蓮の死から150年ほど経った時代に生きた日親にとって、自分の属する法華宗は日蓮が目指したものから変節しているように思えた。日蓮は時の権力者、北条時頼に「立正安国論」を上程して諫暁(かんぎょう=諫め諭す)したが、日親もそれに倣って「立正治国論」を著し諫暁を試みる。しかし権力との対立を忌避する本山は日親を破門、諫暁された将軍義教の怒りも買う。
日親の不撓不屈の姿勢は日蓮宗不受不施派に受け継がれるが、これもキリスト教と共に激しい弾圧にさらされる。小著だが、政治権力の問題を考える良き指標になる。 <狸>
(哲山堂 1500円+税)