「電線絵画」加藤陽介企画・編集
近代洋画の開拓者である高橋由一が明治10年代の浅草や高輪など東京の街並みを描いた作品には、そこにあるべきはずのものが描きこまれていない。電信柱と電信線だ。
一方、雄大な富士山を遠望しながら東海道を江戸時代さながらの手甲脚絆に道中合羽姿で歩く旅人を描いた明治13年の小林清親の錦絵(表紙)には、風景とは場違いな電信柱と電信線が堂々と描きこまれている。他にも小林は、明治9年から描き始めた東京名所図シリーズで、東京のさまざまな風景のなかに、電信柱が連なり、電信線が張り巡らされていくさまを描いている。
現代人には疎んじられる電信柱や電信線だが、当時は「晴れやかで誇らしげな新しい都市の象徴」であり、小林にとっては「東京風景画」を構成する上でなくてはならない存在だったという。
本書は、明治から現代まで、電柱や電線が描きこまれた芸術作品を集めたアートブック。
日本最古の電線絵画(絵①)は、嘉永7(1854)年の2月24日に描かれた。なぜ日にちまで正確にわかるのかというと、この日、ペリー提督から幕府に献上された「エンボッシング・モールス信号機」の実験が行われたのだ。実験は、横浜で8町(約900メートル)離れた応接場と民家の間に立てた電信柱に電信線を張り行われた。この日本初の電信の送受信の警護に駆り出された松代藩士が密かにスケッチした絵が今も残っているのだ。
それから15年後、明治2年12月に築地に電信局が開局し、横浜から東京まで電信が開通、電信柱・電信線が市中にお目見えする。
そのわずか数カ月後に描かれた豊原国周の開化絵には、日本人に交じって馬車や自転車に乗った外国人と共に電信柱と電信線が描かれ、その電信柱には「テリガラフ(テレグラフ)」とわざわざ描きこまれている。
続いて明治20年の日本橋茅場町を皮切りに、23年までに市内5カ所に電灯局(火力発電所)が建設され、電気供給事業が始まる。
満開の桜の下を遊女と客が行き交う新吉原を描いた小林幾英の錦絵では、桜並木に沿って街灯が整然と並び、3代目歌川国貞が日本初の電動エレベーターを備えた浅草凌雲閣を描くなど、さまざまな作品で電化されていく東京の様子をたどる。
一切の無駄をそぎ落とし、シンプルに一本の電信柱だけを描いた河鍋暁斎の絵に山岡鉄舟が賛を加えた作品などは、茶室にかかる掛け軸の趣だ。
他にも、岸田劉生(絵②)や川瀬巴水などのビッグネームから、マレーシアの戦地で電信網を整備する軍通信隊の活躍を描いた福田豊四郎の作品(絵③)や、アトリエの窓から見える電線の交差を描いた朝井閑右衛門の「電線風景」と名付けられた作品群、そして「趣都」「電柱でござる!」と題された山口晃の漫画作品などの現代アートまでを網羅する。
意外な切り口で集められた作品に触発され、電柱や電線がある身近な風景がいつもと違って見えてくる。
(求龍堂 2500円)