「世界のピラミッド Wonderland」河江肖剰、佐藤悦夫ほか編著
「ピラミッド」は、ギリシャ語で三角形の菓子パンを指す「ピューラミス」が語源で、そもそもはヘロドトスらの歴史家たちが、エジプトのあの巨大遺跡に用いていたものだ。
現代人もピラミッドと聞けば、すぐにクフ王の大ピラミッドをはじめ、エジプトの代々のファラオたちの墓を思い浮かべてしまう。しかし、世界には時空を超えて、異なる文明が築き上げた四角錐の巨大な建築物が多数存在する。
そうした世界各地のさまざまなピラミッドを一堂に集め紹介するビジュアルブック。
それでもやはりピラミッドといえばエジプト。まずは本家本元のピラミッドから探訪していく。
エジプトで最古のピラミッド(写真①)が建造されたのは、現在の首都カイロから南に20キロほど離れた聖地サッカラ。紀元前2592年ごろ、ネチェリケト王がここでこれまでにない形状と材質で自らの墓の造営を始めた。
それまでの墓の材質は日干しレンガで、一部、埋葬室(玄室)だけに石材が用いられた。しかし、ネチェリケト王は、墓とその周囲の建造物すべてを石灰岩で造らせた。
その墓は最初は伝統的な方形(四角形)の上部構造を持つ「マスタバ墳墓」だったが、その後、6回の大規模な拡張工事を経て、最終的に高さ60メートル、基底部121×109メートルの階段型ピラミッドへと姿を変えた。
この度重なる増築は、王の再生とかかわる宗教的行為だと考えられている。
そのネチェリケト王の墳墓を超えるべく高さ90メートル8段の階段ピラミッドや史上初の真正ピラミッド(写真②)の建造に挑んだスネフェル王が生涯で築いた4基のピラミッドから、ギザの3大ピラミッドまで。
エジプトの各ピラミッドを、その建築意図から建設工程、構造などを写真やイラストなども用いて詳述。
その巨大さとスケールの大きさに圧倒されるエジプトのピラミッド群だが、王墓を建てる場所の選定や、建築資材を集めるための遠征など、知られざる物語にさらに知的好奇心が刺激される。
エジプトの次にピラミッドと聞いて思い浮かべるのは「月のピラミッド」や「太陽のピラミッド」など紀元前2世紀から紀元7世紀にかけて栄えたアメリカ大陸最大級の都市国家テオティワカンの建造物群だろう。
他にも古典期マヤ文化の中心地であったティカル(グアテマラ=写真③)の神殿など、テオティワカンと交流があった古代都市の建造物をはじめ、初代ローマ皇帝アウグストゥスの治世に建てられたローマの「ガイウス・ケスティウスのピラミッド」や、インドネシア・ジャワ島の仏教遺跡「ボロブドゥール」まで、約20のピラミッドを取り上げる。
建築された時代も、文明も、そして目的も方法も異なるさまざまなピラミッド。その多くは、それぞれの民族の死生観に関わっているそうだが、先人たちはこの四角錐の建物に何を託し、何を願ってきたのか。
ピラミッドをタイムマシン代わりに、先人たちが生きていた時代にしばし、思いをはせる。
(グラフィック社 2750円)