『「おふくろの味」幻想 誰が郷愁の味をつくったのか』湯澤規子著/光文社新書
このタイトルを見た時、「これだ!」と思った。2020年、私は「意識の低い自炊のすすめ」という新書を上梓した。「はじめに」では、「おふくろの味」とは一体何なのだ? なぜ、男は「あなたにとっておふくろの味は?」と聞かれたら一様に「肉じゃが」と答えるのだ! と問うた。
「おふくろの味」と「母の味」は一体何が違うのか? 自分は「おふくろの味」という感傷的な言葉は嫌いだが、「母の味」であれば、毎朝食べていた野菜炒めとなる。本書の帯にはこうある。
〈なぜ私たちは肉じゃがにほっとしてしまうのか? 無性に食べたくなる時もあれば、揉め事の火種にもなる。誰もが一度は聞いたことがあるのに正体不明の「味」の謎──〉
ここから、一体「おふくろの味」が何物であるかを、膨大な資料や伝聞をもとに解明する旅に出ていくのだ。1455年に書かれた随筆には「御袋」という言葉があり、これは高貴な身分の人の母親を示す言葉。明治大正期の随筆には「お袋」が登場し、昭和期には「御袋」が登場。いずれも一般的な母親を意味する。しかし、昭和も進むと「おふくろ」と平仮名になっていく。森進一の代表的な歌「おふくろさん」はその表れだろう。
さらには「母親のことを何と呼ぶか」の調査結果も紹介するなど、徹底的に「おふくろ」という謎の言葉とそれがいかに料理と結び付けられていくかを考察していく。一つの答えは「郷愁」にあるという。
〈「おふくろの味」という言葉が「帰る場所」、「懐かしい場所」、「かつて日常だったのに今は遠くにある場所」、つまり「故郷」という場所への郷愁を伴って誕生したのは、それを求める人びとがいたからである〉
集団就職で都会にやってきた若者が故郷の味を食べられる食堂等とそこの女性従業員が「おふくろの味」と関連している、という分析をする。私なぞマザコン男が「おふくろの味」を言うのかと思っていたが、もっと深い理由があったのだ。そして、本質をこう喝破する。これは「おふくろの味は幻想である」という説を唱える帝京大学・大野雅子教授の論だ。
〈息子たちは記憶の中に母を呼び戻す行為を通じて完璧な母親像を創り出す。「母」とはその不在によってその存在を大きくし、記憶の中でその母性を輝かせる。「母」とは日本の近代が構築した幻想の物語なのである〉
昨今ジェンダーについて理解を深めなくては非常識人扱いされるが、「おふくろの味」の正体を知ることから始めてはいかがか。
★★★(選者・中川淳一郎)