「言語ゲームの練習問題」橋爪大三郎著/講談社現代新書
社会学者の橋爪大三郎氏(大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授)は、難解な学問を一般の人々にわかりやすく、かつ正確に解説する特別の能力をもっている。本書では、大学レベルの哲学、言語学、数学の訓練を受けていない人にはわかりにくいルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951年)の哲学をとりあげている。言語の使い方によってさまざまな思想が生まれるというのがこの哲学の肝だ。
橋爪氏は、哲学は誰にでもできる事柄であると強調する。
<哲学はだから、誰でもできる。誰でもやっている。誰でもやればいい。/言語をちゃんと使えば、それが哲学だから。/まともに人間として生きることだから。/哲学からもっとも遠いこと。それは哲学の本を、そのまま受け売りすることだ>
大学の哲学教師の大多数はこの種の受け売りを哲学することと勘違いしている。橋爪氏はこのような受け売り屋と本質的に異なる思考をヴィトゲンシュタインはしていたと指摘する。
<彼の本には引用がない。よくある哲学の本とまるで似てない。自分の頭で考えたことだけ、ああでもない、こうでもないと書いてある。自分のために考えた。それをみんなと共有した。/彼の本には、結論がない。問題が並んでいる。そこから先に進んでいく>
ヴィトゲンシュタインのこの姿勢を橋爪氏も継承している。
言語ゲームの発想は国際情勢の分析にも役立つ。
<言語ゲームの重要な主張のひとつは、人びとは自分が従う言語ゲームのルール(規則)を、必ずしも記述できない、ということだ。書き出された法律や箇条にとらわれると、ものごとのその先を考えることができない>
ウクライナ戦争に関しても、日本人はロシアの論理、ウクライナの論理はもとより、アメリカの論理もよくわかっていない。
<日本人は、条約や憲章など、文字に書かれたものが国際法だと思ってしまうので、国際法の本質がわからない>と橋爪氏が指摘するが、その通りと思う。各国の生き残り本能のような言語にできない事柄をあえて言語化して捉える努力が重要になるのだ。(選者・佐藤優)
(2023年2月3日脱稿)