「紫禁城の至宝を救え」アダム・ブルックス著、須川綾子訳
「紫禁城の至宝を救え」アダム・ブルックス著、須川綾子訳
台北の国立故宮博物院に収蔵されている中国の至宝は、1930~40年代、日中戦争の惨禍から逃れるために危険で困難な旅を重ねていた。あまり知られていないこの歴史的事実を資料と取材で丹念に掘り起こした傑作ノンフィクション。
日中戦争以前、北京の紫禁城には膨大な宮廷コレクションが保存されていた。日本軍が北京に迫るなか、故宮博物院の理事たちは、コレクションの北京脱出を決断する。この大プロジェクトは一握りの学芸員に委ねられた。彼らを率いたのは物静かで誠実な碑文研究者、馬衡だった。
絵巻物、磁器、翡翠の彫刻など、壊れやすい宝物を、爆弾、略奪、振動、湿気、害虫などからどう守るのか。すべてが困難を極めた。学芸員たちは稲藁、籾殻、綿、紙などを使って細心の梱包作業を行った。貴重な文物を詰めた1万7000もの箱は、船やいかだ、列車やトラックに積み込まれ、何度にも分けて運ばれた。
日本軍が北京を陥落させたとき、中国の宝物はすでに南京に移送されていた。しかし、ここにも危険が迫り、宝物は3つの経路で西へと移送された。リーダー馬衡と学芸員たちの命がけの奮闘によって、宮廷コレクションは戦時下を生き延びた。
ところが、日本が敗退した後も、宝物の多くが北京に戻ることはなかった。外敵日本に代わって勢力を拡大していた中国共産党を内なる敵と見た馬衡たちは、1948年、宝物の中の逸品を台湾へ避難させた。宝物は中国本土と台湾に引き裂かれたまま、今に至っている。本土にとどまった馬衡は文化大革命下で屈辱の晩年を送ることになった。
著者は長年BBCニュースの報道に携わったアジア通のジャーナリスト。宝物流転の道筋は日本軍の足跡でもある。南京からの宝物移送後に起きた南京大虐殺の実相も語られ、かつて日本が加害者だった事実をあらためて突き付けられる。 (河出書房新社 3520円)