破門されて1年…桂きん枝さんを救った亡き恩人の“直談判”
それやのに「すんまへん。50万円、お願いできまっしゃろか」と言うたら、「他のヤツに言うたらあかんで」と言いながら、そのまんま出してくれはった。加えて家族持ちなんやからと社会保険、厚生年金、全部、会社持ちですわ。これはホンマありがたかった。
自宅は大阪・千里山やったんで、それから朝は7時半ごろに出勤して夜8時ちょい前に帰宅の生活。謹慎中の身やから飲みにも行かず、落語はもちろん芸能関係ともすっぱり縁を切ってました。
■復帰後は真剣に落語に向き合った
そんな時ですわ。年が明けて84年1月31日。僕が入門した当初から何かと面倒見てくれてた4代目林家小染師匠が交通事故で亡くならはった。師匠とは同じアパートに住んで一緒に下積みしとった仲やったんで、さすがに葬式に顔出さないかん。
そこで、久しぶりに顔を合わせたんが松鶴師匠です。聞かれるまま近況を話しましたら、「ほな、いっぺんウチに来んか」と。そして後日、お邪魔しましたら、そのまま文枝師匠の自宅に連れて行ってくれたわけです。そこまでしてくれはるとは思てへんからビックリですわ。
そして6月。ミナミにあった料亭「暫」の寄席「暫亭」で、芸名を「勝枝」に変えて復帰。その後、「きん枝」に芸名を戻して今に至るわけです。実は真剣に落語に向き合うようになったんは復帰後やからホンマ、今あるのは松鶴師匠のおかげ。大恩人ですわ。