破門されて1年…桂きん枝さんを救った亡き恩人の“直談判”
ここまでにはいろんな経緯がありました。時計の針をグルッと戻しますとね、僕は70年代から80年代にかけて、若手落語家として「ヤングおー!おー!」(毎日放送)や「プロポーズ大作戦」(朝日放送)にレギュラー出演してまして、アイドルみたいに人気やったんです。
決して驕ってたんとちゃいますよ。ほんでも脇が甘かったんですわ。79年から83年にかけて無免許運転やら何やかんやで不祥事が続き、さすがの文枝師匠も上方落語協会会長やった手前、見過ごすことはでけへん。それで83年9月に破門にされたんです。
■謹慎中は知人の会社で電話番
そうはいうても、先妻との間の子供は小さかったし、自宅を買うて間もない。家のローンやら生活費、おまけに前年の収入に対する税金がドーン……。結構な額のお金が毎月必要やったんです。そしたら、事務機器や自動販売機を扱ってる知り合いの会社の会長が「京都・山科で遠いんやけど、ウチの倉庫で働かへんか」と言うてくれはった。
しかも、「なんぼ必要なんや?」と。普通、「こんだけしか出せんけど、よかったら来るか」と言うのが一般的やのに……。僕は高校を卒業後、3カ月ほどサラリーマンして、すぐに文枝師匠に入門しましたんで、資格どころか自動車免許も持ってなかった。できるのはトラックが積んできた商品の出し入れと電話番ぐらい。