「ニッポン放送を辞めます」 でも誰も止めてくれなかった
ニッポン放送入社から4年後の1963年(昭和38年)に退社するまで、倉本氏は寝る間もないほど多忙な生活を送っていた。
碓井 東京オリンピックの前年、会社員を辞めて、いわゆる筆一本の人間になりました。
倉本 あのねえ、やっぱり怖かったですよ。生活保障がなくなるわけでし…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,231文字/全文1,371文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】