「ゾルゲ事件 80年目の真実」名越健郎著
「ゾルゲ事件 80年目の真実」名越健郎著
ロシアのプーチン大統領が、かつてKGB(旧ソ連国家保安委員会)のスパイとして旧東独に勤務していたが、テレビのインタビューでは「高校生の頃、ゾルゲのようなスパイになりたかった」とも語っている。
ここで触れられているのは、満州事変後にドイツの新聞記者として来日し、ソ連のスパイとして諜報活動を行ったリヒャルト・ゾルゲのこと。ゾルゲが組織したゾルゲ機関の関係者は政府高官を含め35人以上に上り、日本の軍事機密などを通報した容疑で逮捕、ゾルゲと元朝日新聞記者の尾崎秀実が処刑された。
当初、ソ連では「摘発されたスパイ」としてゾルゲは完全に無視されていたが、1960年代に入って名誉回復がなされた。プーチン政権の現在、ドイツのソ連侵攻の情報をいち早くもたらし、ナチスによるモスクワ占領を阻止した英雄として50都市に「ゾルゲ通り」があるほどその功績が称えられている。
本書は、ロシアで新たに情報公開されたゾルゲ関係の資料などを盛り込みながら、これまで謎の多かった「ゾルゲ事件」の内幕に迫っている。1930年、ゾルゲはソ連共産党指導部の指令で上海にドイツ人記者として潜入。情報収集、諜報ネットワークの構築などに携わる。朝日新聞の記者・尾崎とは当地で知り合う。その後、活動拠点を日本へ移し、日本の対ソ戦の可能性などを中心に諜報活動を開始。尾崎らの導きによって近衛内閣の周辺に食い込み、独ソ戦の事前情報や日米開戦の可能性など確度の高い情報を次々にソ連へ送る。一方、アグネス・スメドレーをはじめとする何人もの女性たちを籠絡して情報を得る。そうした人を惹きつける力も一流スパイの証しということだろう。
社会主義を信奉し、戦争を押しとどめたいという理想を抱きながらも時代に翻弄されたゾルゲ。自分を英雄視しながら他国へ戦争を仕掛けている今の事態を天国のゾルゲはどう見ているのだろう。 〈狸〉
(文藝春秋 1210円)