中森明菜「伝説の歌姫」の40年…80年代が生んだ最大のアイドルの転落、57歳での再始動
母親の死後、27年間も家族と音信不通
新たな事務所「HZ VILLAGE」を立ち上げたことを明らかにした明菜。これまで長年支えてきたマネジャーのK氏から離れ、明菜は新しい所属事務所の弁護士をパートナーに、本格的な再始動をめざすことになる。
そんな明菜が抱える問題は1995年、母・千恵子さんが他界(享年58)して以来続いている27年に及ぶ家族との断絶だ。
明菜の家族は、88歳になる父親の明男さん、きょうだいは6人で、明菜は2男4女の5番目。末っ子の明穂も歌手デビューしたが、2019年に他界している。
マスコミにも度々登場して、明菜への思いを語った父の明男さんは、昨年暮れに散歩中に肋骨と右手を骨折して入院し、介護付きの老人ホームに入ったと伝えられた。その明男さんだが、当初は「明菜と折に触れて連絡を取っている」と話していた。ところが、千恵子さんの他界後、父娘は音信不通状態であることがわかったのが13年。明菜にとって、家族とのわだかまりとは何なのか。
本人の口から語られたことはないので、すべて推測の域を出ないが、考えられることのひとつは母親への思いだ。元々歌手志望だった千恵子さんの夢をかなえたいと思って歌手になった明菜にとって、千恵子さんは一番の存在。その千恵子さんは亡くなる前に中森家のお墓に入ることを拒否し、実家の墓に入る決断をしたという。がん闘病中の千恵子さんを、明男さんが突き放しているように感じた明菜が反発したという見方も出ている。
ふたつ目は金銭絡みの話である。中森家は87年に清瀬市に3階建てのビルを建てている。明男さんは大田区から清瀬に移って中華料理店「新雅」を始め、家族でカラオケスナックなども営んでいた。その資金について、当時の所属事務所周辺など関係者から明菜は「お金が清瀬に行っていて大変」と吹き込まれていた事情もあったようだ。その結果、明菜は明男さんが「勝手にお金を使っている」と思い込んでしまったというのだ。
明男さんがことあるごとに「事務所から勧められた」「私のお金でやっていた」と言っても明菜の耳には届かないようだ。「恩讐の彼方」にある明菜と家族のわだかまりは、ほどけない糸のようになっているのだ。
■「明菜に会いたい」と実兄
2010年の活動休止から4年後、明菜は大晦日の紅白歌合戦に12年ぶりにニューヨークから電撃出場を果たした。年が明けて15年1月9日にはNHKが出場の舞台裏を「SONGSスペシャル『中森明菜 歌姫復活』」として特集して話題になった。この背景には14年に発売したベストアルバム2枚が30万枚のヒットを記録したことで気をよくしていた面もあるが、「SONGS」後、1月下旬に発売されたアルバムが2万枚と振るわなかったのが理由なのか、再び表舞台から遠ざかる。その後は17年にディナーショーを開いたのを最後に、公の場には姿を見せていない。
そんな明菜にとって今年はどうか。デビュー40周年前日、4月30日にNHK-BSプレミアムとBS4Kが89年のライブ映像「伝説のコンサート中森明菜スペシャル・ライブ1989 リマスター版』」を放送、7月15日には同BSが「中森明菜スペシャルライブ 2009・横浜」を放送、7月9日にはNHKが「リマスター版」を再放送した。いずれも好評で、明菜の新たな動きを予感させるものだった。そこに新事務所の立ち上げと活動再開が報じられたことで、早くも今年の紅白出場がささやかれている。
父・明男さんに代わって実兄が週刊誌で語っている。
「母が亡くなった二十数年前から一度も会えていません……本当に明菜に会いたい」
家族の再会は? それともテレビで元気な姿を見ることになるのか。誰もが歌姫の復活を待望している。