アマチュア無線とオーディオ好きな理系学生が、大学をやめて落語家になったワケ
1975年2月に入門して見習となり、12月から寄席で働く。前座名は柳家みのる。本名(富田実)からだが、1年後、みの助に変えた。79年に二つ目に昇進し、小ゑんになる。先々代小ゑんはご存じ、立川談志。先代は小さんの長男の三語楼(現・小さん)だ。柳家の出世名と言っていい。
「当然、両師匠にはご挨拶しました。談志師匠が、『ゑはこの字だからな』と書いてくれたのを覚えてます」
腕に覚えがある電気工事の技術が役に立ったことがあるとか。
「入門3日目に小さん師匠宅のテレビアンテナを屋根に上って直したら、『手間(賃)だ』って千円、ピン札で頂きました」 (つづく)
(聞き手・吉川潮)