二つ目昇進時にもらった歌武蔵という名前の由来「おまえには2人の師匠がいる」
「2人の名前から取って歌武蔵と名乗れ」
二つ目昇進時に、芸名を歌武蔵と改める。
「師匠が言うには、『おまえには2人の師匠がいる。俺と武蔵川親方だ。2人の名前から取って歌武蔵と名乗れ』ということです」
宮本武蔵、武蔵坊弁慶を連想するので、巨漢にはぴったりの芸名だ。出囃子は弁慶が出てくる歌舞伎の「勧進帳」にした。
「二つ目になった1988年ごろはバブル絶頂期の好景気で、テレビ東京の『クイズ地球まるかじり』というバラエティーのリポーターに起用されたり、岐阜と名古屋でラジオのレギュラーになったり、忙しい日々でした。そうなると、芸人になるのを反対した親父の態度が変わってきて、近所に自慢してたそうです。また、テレビに出ると親戚が増えるんですね(笑)」
歌武蔵は高座に上がると開口一番、大相撲の検査役の口調で、「ただ今の協議についてご説明いたします」と言って笑わせる。巨体に黒紋付き姿が検査役のように見えるので、客は拍手喝采だ。
「このつかみは二つ目の頃からやってました。相撲漫談はよく受けますし、相撲取りが出てくる噺としては『稲川』(別名『千両幟』)をよくやってます」
短期間とはいえ、相撲部屋にいた経験が強みになっている。順調に売れていたが、バブルがはじけて不景気になると、仕事が激減した。そこで、海上自衛隊横須賀教育隊に入隊する。その訳は?
「もともと海にあこがれがあって、海自が大好きだったんです。落語界には古今亭志ん駒師匠と桂才賀師匠という海自のOBがいます。才賀師匠は自衛隊の慰問活動をしていたんで、『僕も連れてって下さい』と頼んで同行させてもらってました。OBには『第何期』という肩書がある。それが羨ましくてたまらない。なんとか体験入隊できないものかと才賀師匠に相談したら、新人研修の横須賀教育隊に特別体験入隊ということで入れるよう取り計らってくれました。コネ入隊です」 (つづく)
(聞き手・吉川潮)