二つ目昇進時にもらった歌武蔵という名前の由来「おまえには2人の師匠がいる」
相撲部屋を脱走して3代目三遊亭円歌に弟子入り志願した正英(本名)少年は、師匠と武蔵川親方が旧知の仲なのを知らなかった。
「師匠が親方に電話して、『部屋に戻そうか』と言ったら、親方が、『あいつの意思を確かめずに入門させましたが、師匠のとこへは自分の意思で弟子入り志願したのですから、よろしければ弟子にしてやって下さい』と頼んだそうです。後でそのことを聞いて、感激しました」
入門の条件は、親の許しを得て、一緒に師匠宅へ来ることだった。
「ところが、親父は親方に合わせる顔がないとカンカンです。それを半年かけて説得しました」
1983年12月、父親同伴で師匠宅を訪れたことで入門が許された。前座名は歌ちどき。
「師匠が、『おまえは角界で勝ちどきが上げられなかったんだから、落語の世界で上げられるように』と付けてくれました。当時の円歌門下は8人で、僕は9番弟子です」
内弟子として麹町の円歌宅に住み込む。
「母親が、『この子はよく食べるので』と、師匠んとこへ食費として5万円送ったらしいんです。おかみさんが、『ご心配いりませんよ』と返したのに、翌月3万円送ってきた。師匠も今度は返せと言わなかったので、毎月送ってくる。4年10カ月の前座期間ずっとです。それをおかみさんが貯めておいてくれて、二つ目昇進が決まって師匠宅を出ると決まった時、師匠から札束を渡された。『お母さんが毎月送ってきたお金だ。これで部屋を借りろ』と言われ、わーっと泣いてしまいました」