周囲が気を揉む原監督との関係…初日は平穏も嵐の前の静寂
15年ぶりに巨人に復帰した桑田真澄投手チーフコーチ補佐(52)が1日、東京ドームで始動した。本拠地で行われたベテラン、外国人選手中心の「S班」キャンプの初日。左肩に背番号「73」が入った球団のジャージー姿で登場すると、守備練習では菅野、大竹、鍵谷、中川、井納、今村の6人を相手にノックを打ち、野手陣の打撃練習中はフェンス際でボールを拾った。
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■「まずはよく知ること」
「まだ最初。まずは選手をよく知るというところから入っていく。選手が何を考えているのか、どういう目標があるのか、僕が理解していく作業が最初。アドバイス? そこまではしていない」
言葉通り、この日は目立った指導は行わず、対話を重視。ブルペンでの投球練習を終えた今村には、「きょう投げてどうだった?」「去年一年間はどうだったの?」などと質問攻めにしたことを明かした。
一方、原辰徳監督(62)が率いる宮崎では、ドラフト1位ルーキーの最速156キロ右腕・平内(亜大)がブルペン入り。スライダー、ツーシーム、スプリットなどの変化球を交えて、117球を投げ込んだ。投球を見守った原監督は「思ったより球種が多くて実戦的だね」と及第点。桑田補佐は今キャンプのノルマとして、「マウンドの傾斜を使って1000球」を投手陣に課している。さっそく優等生ぶりを発揮した即戦力ルーキーに、指揮官も満足そうだった。
平内と同様、「本格的な指導? 常に宮本(投手チーフ)コーチに相談しながらですね。杉内コーチもいるし、二軍、三軍とも連携しながら」とこちらも優等生発言に終始した桑田補佐。意気込みを問われると、「投手陣が安定すれば、監督の采配もやりやすい。野手も安心して守れる。余裕を持って攻撃もできると思う。僕は選手たちのよき伴走者になりたい。最後に喜べる伴走者になりたい」と独特の桑田節で初日を締めた。
つながりは「巨人を強く」だけ
東京と宮崎でそれぞれ平穏なスタートを切った巨人だが、「嵐の前の静けさ」と見る関係者は少なくない。
現役時代から親分肌の原と一匹狼の桑田には距離があった。監督と選手の関係になってからは、2006年の退団を巡って確執が生じたのも事実だ。ホームページで一方的に巨人退団を発表した桑田に対し、事前になんの報告も受けなかった原監督が「信じられない。順番が違う」と嫌悪感をあらわにした。原監督に近い関係者は「溝があったのは事実だが、これが原監督の度量の大きさ。巨人を強くしたいという思いでつながっている」と言うものの、逆に言えば水と油の2人をつなげているのはそれだけだ。
■容赦なくバッサリ
原監督は桑田補佐の就任会見で、「キャリアはもちろん、ユニホームを脱いでからも勉強している。目的はチームを強くすること。大いに自分を出してもらいたい」と背中を押したが、この指揮官の下では蜜月関係が長く続かなかった例はゴマンとある。
「12年に就任した橋上戦略コーチ(現BCリーグ新潟監督)がそうでした。『見逃し三振はOK』という画期的な方針を打ち出し、狙い球を絞ることでチームの打撃成績を大幅にアップさせた。3年ぶりの日本一にもなって原監督もその手腕を手放しで評価しながら、打線が機能しなくなるや、『見逃し三振は決していいものではない。無抵抗ではバットを持つ必要がない』と方針を百八十度転換させて、橋上さんも打撃担当に配置転換。3年で巨人を去っていった。原政権は今年で通算15年目になるが、鹿取さんや岡崎さん、川相さんと歴代ヘッドコーチとの関係も最後は壊れました。原監督の高校、大学の後輩で関係が深かったスカウト部長も昨年、外された。お眼鏡にかなわなければ、容赦なくバッサリといきますから」(巨人OB)
桑田補佐も桑田補佐で高校から巨人に入団する経緯を持ち出すまでもなく、一筋縄ではいかないタイプだ。肩書はあくまで「投手チーフコーチ補佐」にもかかわらず、今回の電撃入閣でメディアに「“ポスト原”に急浮上」と報じられていることもあり、成果を出そうと早くもアピールに余念がないように見える。
「キャンプ前からテレビや新聞で、『135球を目指して投げてもらいたい。かなり厳しくなると思う。選手からクレームが出るかも分かりませんが、しっかりついてきてもらいたいですね』などと、滔々と語っている。“もう監督になったつもりか”と冷やかすOBも少なくない。自他ともに認める理論派で、科学的根拠に基づく指導ができると自負しているだけに、練習メニューにも積極的に意見を出すだろう。チーム内で絶対的な権力を持つ原監督がどこまで許容するのか。指揮官の脇を固める原派のコーチとの関係も含めて、懸念材料は少なくない」(前出のOB)
関係者が気を揉む巨人の2021年がスタートした。=つづく