山本アテネ五輪監督が率いたのは「谷間の世代」だった
ここで平田は「最終予選は日本の単独開催」というプランをダミーとして出し、想定通りに却下された後に「UAEと日本のダブル・セントラル方式」を提案した。
UAEの隣国バーレンは、ダブル・セントラル方式を了承した。レバノンは五輪出場の望みが薄い上に五輪代表関連の予算が少なく、ダブル・セントラル方式に好意的だった。
あとは日本とUAEのどちらが「後半の開催」をゲットするかーー。これが焦点となった。
ここで平田は「2月から3月にかけて日本は雪が降るが、3月の後半になると温かくなって桜が咲く」とブラフをかましつつ、通産省時代の人脈を生かして日本ラウンドを「後半に開催」することに成功した。(この項つづく)