藤田監督は日本Sで近鉄に3連敗後、読売会長に「明日は香田で大丈夫なのか」と問い詰められた
近鉄との1989年の日本シリーズ。巨人の3連敗で迎えた絶体絶命の第4戦だったが、香田勲男の持ち球である「スローカーブ」が、振り回してくる近鉄打線に効果があると感じていた。
私は試合前のミーティングで「ポイントは緩い球。スローカーブを多く使うから思い切って腕を振って投げ込んでこい」と香田に伝えた。すると、私の予想をはるかに超える好投で3安打完封勝利。巨人は一矢を報いた。
■近鉄に3連敗後、夜の食事会で露見
実は3連敗後の夕食の際、中村稔投手コーチから衝撃的な話を聞いていた。
「おい、(藤田元司)監督が(当時・読売新聞社名誉会長)務台(光雄)さんに会いに行ったぞ」
「え……。監督、辞めるのか。オレたちが3連敗したばっかりに……」
食事会場はザワついた。しかし、後日聞いたところによると、会談は宿舎の藤田監督の部屋で行われ、会話の内容も全然違った。