ニッポン偉人・奇人・変人伝
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所ジョージ編<後編>正反対の明石家さんまとのアンパン事件
私が見る限り、さんまさんが心底楽しそうな顔をしているのは所さんと共演している時だ。所さんは、いつも本番1時間前に来て、収録後はまっすぐ自宅に帰り、外食はほとんどしない。私も付き合いは30年になるが、…
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所ジョージ<前編>哲学者であり、自己流を貫き通す“求道者”
現在勤務する「ニコニコ動画」を運営するドワンゴで、所さんの人生相談番組を提案したところ「所ジョージさんて、司会者・MCのイメージですよね」と言われた。世間的にはそう思う人が多いのだと思うが、30有余…
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大島渚編<後編>「映画とは犯罪」を体現した純粋さと挑戦力
大島渚監督には笑える話がまだまだあるとビートたけしは語る。 「坂本龍一(ヨノイ大尉)を下から拝み上げるように撮るシーンがあってさ。当然、カメラは下から坂本を狙わなきゃダメなんだけど、できるだけ…
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大島渚編<前編>トカゲにぶち切れ「お前、どこの事務所だ」
大島監督とは、私が大学生の時からの縁だ。うちの父はニューオータニのパーティーで大島渚監督を見つけ、初対面ながらアメリカで映画の仕事に就きたいという息子(私のこと)について相談したのだ。 「アメ…
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本橋信宏<後編> 大いに困る「不倫」と「トトロ2」のススメ
聞き上手で理知的な顔、本橋氏がモテないはずはない。 「ボクは美人はもちろん好きですが、どちらかというとそうでもない女性も好きです。話をして、食事をして、恋をして、美人はその間あまり表情は変化し…
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本橋信宏<前編>「AVの帝王」村西とおる監督を最も知る男
著述家・ノンフィクションライター。ジャンルはアダルトビデオ関連書から政治思想、サブカルチャーに及ぶ。早稲田大学政経学部卒業後、間もなくジャーナリストを目指していたがAV監督・村西とおると運命的な出会…
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町山智浩<後編>「右派に偏り第2次世界大戦前の状況に…」
突撃取材中に副流煙でラリった、ラリー町山氏は、映画から広くアメリカ文化・社会を論ずるコラムニストで、真面目でインテリな部分もある。 1962年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。JICC出版(現…
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町山智浩<前編>5万人のマリファナ祭りで“ラリー町山”に…
かつて、ビートたけしが水道橋博士にこう言った。 「真剣に真面目なことを一生懸命にやるためには、たまにバカなことをやらなければならない」 けだし深い言葉だが、今やトップクラスの映画評論家…
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スタジオジブリ鈴木敏夫編<後編>初仕事が人生に影響与える
魑魅魍魎が跋扈するアニメビジネス界で「怪物鈴木」とも呼ばれる片鱗にチラッと触れることがある。もちろん、この私も数年に1度くらい、ビジネスの話でビシッと断られることもある。その場合「(笑)」はない。し…
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スタジオジブリ鈴木敏夫<前編>ディズニーを相手に大勝負
スタジオジブリの鈴木敏夫氏とは92年に公開の映画「紅の豚」以来、26年の付き合いになる。何か全身からエネルギーを発している「歩くだるまストーブ」のような方だ。鈴木さんのメールの返事はこちらがどんなに…
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2ちゃんねる開設・ひろゆき<後編>ニコニコ動画の誕生秘話
私のようなオッサンだけでなく、若手社員にも気さくにひろゆきさんは話す。ひろゆきさんのためにチョイスしたDVD「ポチの告白」をプレゼントした後日、社内でひろゆき氏とすれ違った。 「あ、吉川さん。…
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2ちゃんねる開設・ひろゆき<前編>寿司屋にスケボーで参上
匿名掲示板・2ちゃんねるの開設者。型破りの匿名掲示板であったため裁判所から多くの損害賠償請求を受けることになった、ひろゆき氏。一体、彼はどんな人物なのか? ドワンゴ出向後、社内の仲間から紹介…
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長年ライバルのビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ<後編>
サム古川氏は1986年にマイクロソフトに入社し、ウィンドウズ攻勢の日本における指揮を執りながらビル・ゲイツを真近で見ていたがとても細かかったという。例えばコピー用紙1枚のコストにも目を光らせていて「…
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全く境遇の違うビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ<前編>
ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ。この2人の“巨人”と直接仕事をしたことがある元マイクロソフト本社副社長の古川享氏(現在・慶応義塾大学KMD教授)と元アップル本社副社長の前刀禎明氏に話を聞いたこと…
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ドワンゴ創業者・川上量生<後編>イノシシのような剣幕で…
ドワンゴは放送法に縛られないため、タブーやアンタッチャブルがない。英国のBBCのスタッフに日本を撮らせようと私が提案したら、川上さんはしばらく考え、「それはいい。それならば日韓問題をやりましょう」と…
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ドワンゴ創業者・川上量生<前編>繊細な感性持つ不思議な人
ニコニコ動画を運営するIT企業、ドワンゴの創業者、川上量生(のぶお)さん(現・カドカワ社長、ドワンゴ取締役CTO)について描いたものはあまりない。日本テレビからドワンゴに出向した3年間や転籍したこの…
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赤塚不二夫<後編>笑いを生み出す力の裏には“悲劇的体験”
ある大手出版社の新人賞の発表会でのこと。発表会の開始は午後3時ごろの予定だった。赤塚さんは若手社員をチョイチョイと手で呼び、 「あのオチャケちょうだい」 Aさんがウイスキーの水割りを手…
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赤塚不二夫<前編>「モテるけど…タモリにはかなわない」
天才バカボンの物語で、消火後の火災現場にバカボンのパパがやってきて家族がさめざめと泣いている中「君たち、それでトイレも焼けたのか?」。母親が「はい」と答えると、「これが、本当のヤケクソなのだ」と去っ…
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長嶋茂雄<後編>明石家さんまを紹介するも「君誰だっけ?」
ビートたけしさんはこんな話も耳に入れていた。大島のトライアスロン大会でスターターをつとめた長嶋さん。ピストルを鳴らすと、雨で1発目も2発目も不発……関係者や選手らが動揺する中、突然、司会者のマイクを…
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長嶋茂雄<前編>たけしさん誘っておいて「誰かとゴルフ?」
いきなり個人的な話で恐縮だが、私の父は自動車販売網を経営・運営していた。父は酒も女性にも興味のない仕事人間で趣味はゴルフと読売巨人軍のタニマチ(ひいき筋)だった。いつのまにか巨人軍のベンチにも出入り…