林家木久扇・木久蔵 大いに語る
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素質は十分…落語界史上初「3代現役」の可能性が出てきた
親子で同時代に活躍した落語家はいたが、3代揃ってというのはいまだにない。ところが、2015年に木久蔵の長男が林家コタの芸名で、父親の芸歴20周年記念公演で初舞台を踏んだ。私は客席で見ていたが、とって…
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東京五輪で木久翁は「世界中の財布が日本に来る」と大喜び
木久扇に改名した後も商品名を木久蔵ラーメンのままにしているのはどういうわけか。2代目木久蔵に聞いてみた。 「異物混入みたいなトラブルがあった時、僕に責任を負わせるためだと思ってました。『僕は今…
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木久蔵ラーメンを笑点の皆が「まずい」とネタにしてくれた
立川談志は多くの芸人それぞれに思い出を残した。木久蔵にも談志の思い出がある。 「前座になって間もなく、ある落語会の楽屋で働いていたら、談志師匠が楽屋入りしてきたんです。いきなり挨拶するのは恐れ…
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「3万円は返さないことにした」立川談志は常にネタを意識
そもそも木久扇におバカキャラの与太郎役を振ったのは、初代司会者の立川談志だ。 1966年に「笑点」が始まった際、談志は大喜利メンバーに、キャラクターを割り振った。 先代円楽は「物知り…
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愛称「木久ちゃん」継続の戦略が大当たりした襲名披露興行
2007年、木久蔵という名跡を息子のきくおに継がせることにして、新たな芸名を「笑点」の視聴者から募集することにした。 「人気番組なんで驚くほど集まりました。いくつかに候補を絞って、僕自身が選ん…
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木久蔵「ほめて下さい。僕はほめられて育つタイプなんで」
私も演芸評論家として「木久蔵の息子」に注目していた。父親とはまた違った「坊ちゃんキャラ」で面白いと。 1999年、二つ目に昇進。同じ落語家ジュニア仲間である林家いっ平(現三平)と2人で昇進披…
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学校で「親父が座布団10枚取ってから言え」とバカにされ…
大喜利の中で木久扇は、当初から「おバカキャラ」を前面に出していた。私としては、大喜利メンバーの中で最もインテリで頭脳明晰だと思っているが、視聴者には「いつもとぼけた答えをする人」としか映らない。そう…
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「笑点」歴代司会者で一番やりづらかったのは前田武彦さん
国民的人気番組「笑点」の大喜利コーナーのレギュラーで、木久扇は最年長である。二つ目時代の1969年に、初代司会者の立川談志に抜擢されレギュラーになって今年で50年になる。ギネスものの記録だ。 …
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亡くなって37年…師匠への愛情が名作「彦六伝」を生んだ
正月初席の浅草演芸ホール。第1部のトリを務めた木久扇は、十八番の「彦六伝」を演じ、客席を笑いの渦に巻き込んだ。このネタはどのようにして出来たのだろう。 「きっかけは1982年に彦六師匠が亡くな…
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父・木久蔵が好きな言葉は「入金」嫌いな言葉は「税金」
林家木久扇、木久蔵のように親子ともども現役として活躍しているのは落語界でも珍しい。年頭にあたり、この親子師弟にご登場願った。当欄初の同時インタビューである。 木久扇は2014年に喉頭がんに侵…