鈴々舎馬風 大いに語る
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「大御所扱いされるってえのも考えもの。まず仕事が減る」
馬風が仲たがいした立川談志と偶然会った場に私は居合わせた。某映画監督が演芸の本を刊行した際の出版記念パーティーの席で、ご両人が同じテーブルに座ったのだ。 落語協会会長に就任したばかりの馬風は…
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齢80でも意気軒高「いくつになっても歌ってるんだろうな」
2006年、馬風は落語協会会長になったことで、得意の漫談、「会長への道」ができなくなった。本当になってしまったのでは笑いにならないからだ。代わりに、「峠の唄」という新たなネタを始めた。 「同じ…
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「円歌さんが会長をやりたがっています」と小さんに進言し
1996年、柳家小さんが落語協会会長になって24年経っていた。1月に軽い脳梗塞で倒れたものの、5月には復帰している。その病気のこともあって、馬風は決意を固めた。 「俺と師匠のせがれの三語楼(現…
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売り言葉に買い言葉 談志に「何が飛んできても知らねえ」
1983年6月、柳家小さんは、落語協会を脱会した立川談志を破門した。 「あの兄さんはその日の気分で、言うことがコロコロ変わるんだよ。それで周りが振り回されちゃう。俺が仲裁に入った時、素直に謝っ…
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小さんと談志兄貴が気まずくなり…仲裁が俺の役目と考えて
テレビ東京系の演芸番組「爆笑おもしろ寄席」の大喜利は、馬風が若手落語家の頭を張り扇で叩くことから「暴力大喜利」と呼ばれ、高視聴率を上げた。しかし、こういう番組にクレームがつくのが世のならいだ。「暴力…
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「司会のみのさんがとちっても容赦なくひっぱたいた」
馬風の新しい売り物、「会長への道」は、小さん会長をはじめ幹部の先輩らが次々に死んで、最後に自分が会長になるという内容だ。 「出てくる落語家全員が有名人で、顔とキャラクターを客がよく知ってるから…
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立川談志を訪ねて議員会館に「ヘビ」と「カエル」が…
1976年5月、柳家かゑる改め、鈴々舎馬風襲名披露が行われた。 「談志兄貴がパーティーの司会をやってくれて、披露興行の口上にも並んだ。『スター千一夜』という高視聴率のトーク番組に出演する話をつ…
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かゑるのまま真打ちに「馬風」襲名のきっかけは息子の一言
キックボクシングのリングアナをやったことで、柳家かゑるの顔と名前が売れてきた。 「落語家としての仕事も増えてね。談志兄貴(写真)が、『あんちゃん(落語家が後輩を呼ぶ時に使う業界用語)、世に出ら…
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プロフィル「趣味・喧嘩」記載で格闘技のリングアナに抜擢
当時も今もそうだが、二つ目の落語家はそんなに仕事があるわけでない。柳家かゑる(馬風の当時の芸名)も例外ではなかった。対照的に、同期の朝太は入門後たった5年で真打ち昇進。古今亭志ん朝を襲名し売れまくっ…
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「小さんのお供してたんで女関係まで全部知ってるからな」
馬風が入門した1956年当時、5代目小さん門下には小せん、さん助(共に先代)、つばめ、そして談志(当時は小ゑん)がいた。 「志ん朝(当時は古今亭朝太)が同期でね。楽屋で師匠連に挨拶すると態度が…
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「ラジオから流れる落語を聞きながらだから気が散って…」
馬風は1939年生まれ、生家は千葉県野田市の床屋である。中学生時代から落語が好きで、NHKラジオの演芸番組を夢中で聞いていた。落語家になりたいと思うのは必然である。 「親父に言ったら大反対され…
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「今の若手はしくじりもしねえ。芸人の匂いがねえんだ」
元落語協会会長、現協会最高顧問。これが鈴々舎馬風の肩書である。今年の12月に傘寿(80歳)を迎えるが、今でも寄席の客席を沸かせる爆笑の漫談を演じている。 今回は師匠の先代柳家小さん、兄弟子の…