売り言葉に買い言葉 談志に「何が飛んできても知らねえ」
1983年6月、柳家小さんは、落語協会を脱会した立川談志を破門した。
「あの兄さんはその日の気分で、言うことがコロコロ変わるんだよ。それで周りが振り回されちゃう。俺が仲裁に入った時、素直に謝っときゃ、小さんは談志一門の独立を認めた上で、師弟関係はそのまま続いたと思うよ」
立川流創設から2年後の1985年10月、談志の弟子の談生が落語協会に戻る一件でも、談志は気分屋の一面を現した。
「談生が俺んとこへ来て、『落語協会に戻って寄席に出たい』と言う。『師匠とは話がついてます』って。小さんに話を通したら、『おめえが面倒見てやれ』と言われた。それで弟子にしたわけだ。すると間もなく、談志兄貴から電話があった」
馬風は、「弟子を引き取ってくれてありがとう」と、礼を言われるものと思った。もっともである。
「ところが、いきなり喧嘩腰で、『おまえ、俺が破門したやつを弟子にするのか』と怒ってる。驚いてさ。『いや、兄さんとは話がついてると言うから引き受けたんだ』と弁明したけど聞かねえや。『違う。俺は談生を破門したんだ。そいつを引き取るってことは、俺に喧嘩を売ることになる。てめえがそういう了見なら、商売できなくしてやるぞ!』と怒鳴った。さすがにこっちもカーッときたよ。思わず啖呵を切った。『この野郎。てめえこそ、街歩いてる時、何が飛んできても知らねえぞ!』って電話を叩っ切った」