プロフィル「趣味・喧嘩」記載で格闘技のリングアナに抜擢
当時も今もそうだが、二つ目の落語家はそんなに仕事があるわけでない。柳家かゑる(馬風の当時の芸名)も例外ではなかった。対照的に、同期の朝太は入門後たった5年で真打ち昇進。古今亭志ん朝を襲名し売れまくっている。
「こっちがまだ二つ目のペーペーなのに、志ん朝はNHKのドラマ『若い季節』のレギュラーに抜擢されるわ、バラエティー番組にも出るわで、落語界の寵児といわれた。24、25歳でアルファロメオとかいうオープンカーの外車を乗り回してるんだから、こっちはひがむどころじゃねえ。ただ、あいつが偉いのは、売れてるからって仲間を見下したりしないこと。それによくごちそうしてくれた。いいやつだったよ」
暇なかゑるに思いがけない仕事が舞い込んだ。キックボクシングのリングアナウンサーの仕事である。
「当時テレビ朝日(NET)のアナウンサーで、末広亭からの寄席中継の司会者だった馬場雅夫さんが、キックボクシングのプロモートをしてた野口ジムの野口修会長と親しかったんだ。それで馬場さんがリングアナをやってた。ところが、TBSで中継をすることになった。テレ朝の社員が他局に出るわけにいかねえや。代わりを探そうと、馬場さんが演芸番組に出る若手落語家のプロフィルを見てたら、俺のとこに『趣味・喧嘩』って書いてある。こいつは顔がでかいし、声も大きい。格闘技のリングアナにピッタリだてんで、白羽の矢が立ったわけよ」