小さんと談志兄貴が気まずくなり…仲裁が俺の役目と考えて
テレビ東京系の演芸番組「爆笑おもしろ寄席」の大喜利は、馬風が若手落語家の頭を張り扇で叩くことから「暴力大喜利」と呼ばれ、高視聴率を上げた。しかし、こういう番組にクレームがつくのが世のならいだ。「暴力はいけない」「教育上良くない」という抗議がテレビ局に届いた。
「そりゃあ暴力はいけないよ。でも芸人がプロレスみたいにやってる演出なんだから、うるさく言うこともねえんだ。ただテレビ局は無視できなかった。人気があるのに打ち切りさ」
かくして「暴力大喜利」は落語界において、「伝説の大喜利」として語り継がれることになった。
「『笑点』の大喜利みてえに、型通りで無難なのが長続きするんだな。あれを作ったのは談志兄貴だけど、今の大喜利は兄さんが一番嫌う内容じゃねえか。ただし、落語家が着物を着て出られる番組が少ないから、番組は続いて欲しいけどね」
1983年6月、落語界を揺るがす大事件が起こる。立川談志の弟子が真打ち昇進試験に落ちたことを発端に、談志が一門を引き連れて落語協会を脱会、「落語立川流」を旗揚げすると宣言した。