芸能記者稼業 血風録
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張り込みの珍事 矢沢永吉が「悪いけど送ってくれないか」
芸能記者にとって張り込みは日常の仕事。成果が出ればいいが、外れもある。結果によって疲労感は雲泥の差となる。 張り込みは事前のロケハンから始まる。いかに見つかりにくく、周辺に迷惑をかけないかだ…
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チャールズ皇太子とダイアナ妃の取材で刑事から職務質問
芸能や事件などの取材を通して増えたのが地方出張。ほぼ全国各地に出かけている。初めての地での取材は不安もつきまとうが、名曲の一節、「知らない街を歩いてみたい」の気分にも少しは浸れた。 地方取材…
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森進一の熱狂的ファンが起こした「婚約不履行騒動」の顛末
「タレコミ」とは密告を意味する。現代社会では週刊誌などメディアへの密告の時に使われるのが大半を占める。1億総記者・カメラマン時代と言われ、身近で見聞したことをタレこむご時世。芸能人もうかうか羽目を外す…
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「阪神・淡路大震災」前日まで芦屋で芸能の取材をしていた
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起きた。東京の自宅でテレビを見ていて背筋が凍るようだった。 実は前日まで大阪にいた。芸能の取材で14日から大阪に入り、15日の夕方に芦屋…
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苦肉の策だった「ビキニ美女に囲まれる清原」写真の舞台裏
日本で活躍していた女性グループのメンバーだった日系のKは引退後、故郷のハワイ・オアフ島で旅行関連の仕事をしていた。彼女の告白取材のためにハワイに飛んだ。 当時、ハワイに行く際は、羽田発着の中…
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芸妓と財界人の醜聞追う先輩に経費が足りないと呼び出され
取材で欠かせないのが時間と経費。NHKを見ていると、「1年がかりで密着した」という触れ込みのドキュメンタリー番組がある。それだけ時間をかけた番組は「面白い」し「凄い」と思う。 半面、「1時間…
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俳優も震え上がった“トップ屋”と呼ばれたフリー記者の存在
週刊誌創刊ブームの昭和30年代、「トップ屋」と呼ばれる人がいた。週刊誌の目玉となるトップ(巻頭)記事を自ら持ち込む。「ドクターX」のナレーション風にすれば、 「群れを嫌い、編集部に所属すること…
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一瞬の隙をつき…竹下景子の部屋から逃走したカメラマン
東京・青山にあった竹下景子の自宅マンションに前日の夜に入った広告カメラマン・関口照生氏。午前2時ごろには部屋の電気が消えるのを確認できた。後は朝、出てくるのを待つだけ。この場合、出てくるパターンは3…
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理想の花嫁・竹下景子に交際疑惑 男がマンションに入り…
清純派女優として一世を風靡した竹下景子も67歳。今はグレーヘアの似合う女優。母親役やナレーションなど地道に活動を続けている。そんな竹下をテレビで見ては昔のある出来事を思い出す。 1970年代…
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沢田研二に不倫と別居説…自宅周辺の聞き込みは即バレした
メディアの中でしきりに囁かれ出した沢田研二と田中裕子の不倫。妻・伊藤エミさんとの別居説まで流れ始めていた。裏付けを取るべく世田谷にあった沢田の家周辺に聞き込みに出かけた。 最寄りの駅から遠く…
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元祖ビジュアル系 ジュリーの化粧に賛否両論が巻き起こる
駆け出し記者の頃、「青山に沢田研二がよく来る店がある」と教えてくれたのは建設会社に勤める友人だった。さっそく一緒に出かけた。よくあるパブだったが、当時は青山という街がステータスな時代。よくあるパブで…
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注目の「美川憲一借金裁判」舞台裏…結審直前に和解で決着
「もらったお金」と主張する美川憲一と「貸した金」と返済を求める京都のO氏との裁判。裁判の最大の焦点は「貸した」と裏付ける確かな証拠があるかどうかだった。 公判が終わるごとにメディアの要請で会見…
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美川憲一の裁判 メディアは足の引っ張り合いが日常茶飯事
貸した金かもらった金か。京都地裁で美川憲一とO氏の裁判が始まった。訴えた側は取材に応じるが、訴えられた側はあまり話したがらないもの。美川とO氏もしかり。口を閉ざす美川に対して、O氏は取材に応じていた…
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美川憲一が前代未聞の裁判「貸した金」か「もらった金」か
2000年、美川憲一と京都の不動産会社経営者O氏との間で起きた金銭を巡る裁判。第一報はフジテレビの朝の情報番組だった。O氏が独占インタビューで登場。京都地裁に「美川に対して1億6000万円の返還」を…
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芸能人のタニマチになりたがる「バブル紳士」が多数いた
1986年から5年近くにわたったバブル時代。街に札束が舞っていたと言っても過言ではなかった。現代では「ありえない」バブル紳士たちの生態を芸能界との絡みを含め紹介する。 芸能界には“ショクナイ…
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AKB48がもたらした弊害 アイドルとファンが近くなりすぎた
ジャニーズファンはいつもテレビ局の玄関前にいた。近年、テレビ局は移転や建て替えで建物が要塞化。玄関、駐車場も含め、ガードは完璧。出待ちもままならない状況。その点、昔の局はかなり緩かった。 駐…
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“雲の上の人”から身近な存在に…ファンの行動も時代で変化
芸能人の取材を通して見聞きしてきたのがファン。その行動形態は興味深いものがある。 初めてファンを目の当たりにしたのは俳優・市川雷蔵だった。歌舞伎役者から俳優に転身。大映専属として「眠狂四郎」…
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ママの呪縛を乗り越えた宮沢りえ 自己プロデュースで復活
激ヤセした宮沢りえを偶然、目の当たりにしたことがある。麻布十番にある、芸能界から政財界まで利用者の多い高級中華料理店だった。初めて行った店で渦中の人に遭遇。「ツキがある」と思った。 りえは業…
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婚約破棄に自殺未遂騒動に激ヤセ…宮沢りえの窮地は続いた
ヌード写真集から1年後の1992年11月。19歳の宮沢りえと1歳年上の当時の貴花田の婚約が発表された。女優として無限の伸び盛りの時期。「親方夫人になれば、芸能活動は実質、引退」と懸念する声もあったが…
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宮沢りえ母のプロデュース手腕 芸能史に残るヘアヌード集
アイドル歌手に続いて芸能界の一大勢力を築いたのが雑誌のグラビアから生まれたアイドルたち。 巨乳や美脚で男性誌を席巻。「グラドル」と呼ばれている。 グラドルが生まれたきっかけは1970…