小林雅英 ブルペンから走り続けた13年
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「野球好きのお母さんを増やしたい」という思いが芽生えた
僕は昨年1年間、女子プロ野球の総合投手コーチを務めました。 男子のスピードやパワーと比べると見劣りしますが、思っていた以上にレベルが高い。何より試合に対する熱量が120%と言っても過言じゃな…
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ドラフトに変化…強豪校以外の選手の多くが大成しない理由
これも隔世の感というのでしょうか。 僕は2012年からオリックスで3年間、15年からロッテで4年間、コーチを務めました。そこで「時代が変わったなぁ」と感じたのが、ドラフトの傾向です。 …
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最後までロッテに笑いとチームに勝利をくれた「初芝劇場」
僕がロッテでプレーしていた当時、投手陣のまとめ役が小宮山悟さんなら、野手陣は初芝清さんでした。初芝さんにはお世話になったうえ、思い切り笑わせていただきました。 初芝さんといえば、ロッテを代表…
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小宮山悟さんは宴席でもブルペンでも救援陣を支えてくれた
「おい、コミ!」 「はい、いま行きます!」 「コミ」とは言わずと知れた大投手、小宮山悟さん。そんな小宮山さんを呼びつけ、空のグラスを突き出し、ビールをつがせたのは……なんと、まだペーペーの…
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「和歌山の山猿」益田直也は子供っぽいのが欠点だった
前回、「石川歩は涌井秀章が移籍したことで自覚が出てきた」と書きました。ロッテでいま、抑えをやっている益田直也(31)も同じです。 和歌山県紀の川市出身で、幼少期は山の中で育った野性児。みんな…
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ネガティブで粘り強さがなかった石川歩が変わったきっかけ
昨年の契約更改で、ロッテの石川歩が球団にメジャー挑戦したいと訴えました。 実際、どうなるかはわかりませんが、僕は「あの石川がなあ」と感心したのを覚えています。 僕は引退後、オリックス…
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オリックスでは「二軍で毎試合、クローザーを」と言われ…
巨人を自由契約になった僕が現役時代、最後に所属したのがオリックスです。 2010年のトライアウトでオリックスの目に留まり、入団。そこで心機一転、「セットアッパーの平野佳寿、抑えの岸田護から、…
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日本球界復帰の巨人で犯した2つのミス 踏ん張りが利かない
2009年12月、僕は07年以来、3季ぶりに日本球界に復帰しました。 なぜ、古巣のロッテではなく巨人かといえば、帰国するとき、一番最初に声をかけてもらったからです。 この連載で以前、…
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女子レスリング浜口京子をプールに投げ込んだアテネの夜
アテネ五輪の日本代表は銅メダルに終わりましたが、僕は「歴代代表チームの中で一番強いんじゃないか」という思いを今でももっています。 北京五輪やWBCの代表チームと比べても、遜色はないという自信…
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アテネ五輪の表彰台で聞いたメロディーだけの「君が代」
オーストラリアとの準決勝に敗れ、どん底にいた僕らを救ってくれた長嶋監督からのFAX。長嶋監督を勇気づけるためにと戦ってきた日本代表が、最後は逆に励まされ、翌日の3位決定戦に向けて立ち上がれたのです。…
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アテネ五輪準決勝敗退の日本代表救った長嶋監督からのFAX
日本の先発、西武の松坂大輔が初回3者連続三振と完璧な立ち上がりを見せれば、オーストラリア先発のクリス・オクスプリングも走者を出しながらも粘り強く日本打線を抑える。 そんな展開で幕を開けたのが…
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アテネ五輪の舞台裏 食事会場は話し声すら聞こえなかった
どんなチームにも盛り上げ役というか、ベンチの雰囲気が暗くなったときに音頭を取って場を明るくする選手がいるものです。アテネ五輪の野球日本代表では、まとめ役の宮本慎也さん……ではなく、中畑清監督代行がそ…
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無警戒だったオーストラリアの強さに面食らって浮足立った
2004年アテネ五輪で、日本代表の前に立ちはだかったのがオーストラリアです。予選リーグ初戦のイタリア、そして難敵オランダ、強敵キューバを倒し、4戦目の対戦でした。 正直に言えば、オーストラリ…
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アテネ日本代表「五輪の素人」が犯した全勝狙いの落とし穴
2004年アテネ五輪に臨んだ僕ら日本代表には、2つの目標がありました。 1つは言わずと知れた「金メダル」。もう1つは「全勝して病床の長嶋監督を勇気づける」ことです。 しかし、この「全…
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負けられない…長嶋監督が脳梗塞で倒れたことが枷になった
長嶋茂雄さんが倒れた――。 その一報を聞いたとき、僕は目の前が真っ暗になりました。 2003年にアテネ五輪の予選を兼ねたアジア選手権で優勝。この時は後に設けられた「代表は各球団2人ま…
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アマ野球が長いからこそ抱いたプロの五輪出場への違和感
2004年アテネ五輪の予選を兼ねた前年のアジア選手権は、どこか不思議な感じでした。 会場は札幌ドームですが、日本ハムが移転したのは翌04年から。当時は西武が準フランチャイズ構想を持っていて、…
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アジア選手権完全制覇目前で長嶋監督が初めて笑顔を見せた
日本プロ野球の威信をかけて臨んだ2003年アジア野球選手権兼アテネ五輪予選。3勝0敗という結果とは裏腹に、体力と気力を信じられないほど消耗した大会でした。 ■「1点取られたのが巨人のエースかよ…
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アテネ五輪予選で守りたかったプロの矜持と長嶋監督の経歴
日本野球がオールプロで臨んだ初めてのオリンピック、それが2004年アテネ五輪です。 僕が出場した最初で最後の五輪ですが、戦いは03年から始まっていました。この年のオフシーズンに行われたアジア…
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剛腕とのキャッチボールやスラッガーの風貌に仰天の日々
しばらくの間、メジャーの文化や日米の野球観の違いなどを紹介してきました。アメリカでは毎日が驚きの連続。中でも僕が「おいおい、勘弁してくれよ」と思ったのがケリー・ウッドとのキャッチボールです。 …
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サイ・ヤング賞左腕のリーが僕のグラブを欲しがった背景
僕がメジャー1年目の2008年、この年に大復活を遂げたのが左腕のクリフ・リーです。04年から14勝、18勝、14勝と活躍するも、07年は5勝8敗。それが08年は22勝(3敗)、勝率・880、防御率2…