負けられない…長嶋監督が脳梗塞で倒れたことが枷になった
長嶋茂雄さんが倒れた――。
その一報を聞いたとき、僕は目の前が真っ暗になりました。
2003年にアテネ五輪の予選を兼ねたアジア選手権で優勝。この時は後に設けられた「代表は各球団2人まで」という縛りもなく、正式なメンバーではありませんでしたが、僕はおそらく選ばれるだろうという話を聞いていました。
■海に向かって「君が代」を
あの長嶋監督の下、オリンピックで戦える。野球人なら誰もが奮い立つシチュエーションです。長嶋監督も「アテネで勝って、海に向かって君が代を歌いましょう!」と選手に声掛けをされていたので、自然と闘志が湧き上がっていました。
ところが、です。春季キャンプが終わったばかりの04年3月、長嶋監督が脳梗塞で入院してしまった。
それでも僕ら代表はミスターの帰還を待ち望んでいました。あの精力的な長嶋監督なら戻ってくる、五輪本番には間に合うはずだという、漠然とした期待があったんです。