「うまい!大衆そばの本」坂崎仁紀氏
「最近は老舗や高級店の十割、八割といった手打ちそばがもてはやされていますよね。でも自分は、敷居が低くてゆるい大衆そばならではの奥深さ、うまさがあるんだぞと言いたい。老舗・高級系のそばは、江戸後期頃からほぼメニューが決まっていますが、大衆そばはうまくて安くできれば何でもアリ。落語家の柳家喬太郎師匠の好物で有名なコロッケそばもそうですが、春菊天、ニラ天、ゲソ天、ちくわ天など、土地の野菜や旬のもの、安いけどそばに合いそうなものをとりあえず試してみよう、から始まるんですね」
ワンコイン程度の低価格で、立ち食いそばに代表される「大衆そば」。その定義やルーツから、全国のうまい店、ユニークすぎるメニューの数々まで、魅力をたっぷり紹介する指南書だ。
著者は学生時代から大衆そばの食べ歩きを続け、現在も1日1杯以上は食べるという「達人」である。
「高級そば屋にも行きますよ。でも、まずは“そば前”でつまみと酒をたしなんで……といった流儀があるでしょ。時間がないときは無理だから、しょっちゅうは行けません。老舗・高級系のそばは寿司やてんぷらと同じで、“ハレの日”の食なんです。一方で大衆そばは“ケの食”。立ち食いそばで食事を済ませているサラリーマンって実はすごく多く、立ち飲み屋なんかで居合わせた人に大衆そばの話をすると、『この店の○○がうまいから食ってみろ』『××に毎日通ってる』なんて言われて盛り上がります」
本書では、「ギョニソ天そば」「冷やし野菜炒めそば」「豆腐そば」など実在の個性派メニューがなんと50種近く紹介されている。メニューの多彩さは大衆そばの大きな魅力だ。
「面白い、うまい一杯に出合うコツは、よさそうな店を見つけたらしばらく通ってみること。たいてい常連が、おかしな注文をしているので観察してみてください。先日、メニューに『関西風つゆも出来ます』と書いてある日比谷の『都そば』で、常連が『ハーフで』と注文していた。関東風と関西風をミックスにするというやつで、これが一番うまかった。こういうのって、ネットの口コミにも載っていないんですよ。客にとっては当たり前すぎて、わざわざ書かない。だから行ってみないとわからない。そこがまた楽しいんです」
サラリーマンの世界と思われがちな大衆そばだが、この数年で女性客、とりわけ若い女性も増えていると言う。
「冷やしぶっかけなんかをテークアウトし、それがおいしくて次は店内で……というパターンが多いようですね。自分は薬剤師の資格があるんで、この本にも医療系の学術論文からあれこれ紹介しちゃいましたが、そばは本当に美容にも健康にもいいんですよ。最近は新宿の思い出横丁なんかで外国人も立ち食いそばに並んでいることが多いですね。ラーメンに飽きて日本の大衆そばに注目する人も出てきているんでしょう」
本書ではえりすぐりの約20軒を紹介しているが、中でも著者イチオシは仙台の「そばの神田 東一屋」。出張中に偶然訪れ、東北では珍しい澄んだ出汁のうまさとメニューの豊富さに感動し、2日間で3度も食べに行ったと言う。
巻末には、そば粉や小麦の産地や営業形態などの変化など、大衆そばの未来予想図も紹介。変化し続ける大衆そばの「今ここでしか出合えない一杯」を味わいに、出かけてみたくなる一冊だ。
(スタンダーズ 1300円+税)
▽さかざき・よしのり 1959年生まれ。大衆そば研究家。東京理科大学薬学部卒。薬剤師として医療系IT・出版の仕事に従事する傍ら、学生時代から大衆そばを食べ歩き、研究を重ねる。著書に「ちょっとそばでも」。