琉球と沖縄
「琉球揺れる聖域」安里英子著
玉城知事を支持する県政与党が過半数割れを起こした沖縄県議選。対本土ばかりでなく内憂も懸念される沖縄は?
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「琉球揺れる聖域」安里英子著
沖縄といえば青い海とおだやかな人々。毎夏、国内外からの観光客は数知れず、生まれる子どもの名前にも「琉」の字が好んでつけられる。だが、そんな明るい観光イメージの陰で見過ごされてきたのが沖縄の現実。基地問題ばかりではない。
1972年の「本土復帰」後、東京を中心とした本土の資本が沖縄に流れ込み、あとさき考えないリゾート開発が一気に進んだ。
本島と八重山諸島に挟まれて宮古諸島などは、あふれ返るリゾート資本のおかげで健全な財政自立が難しくなった。巨大資本は珊瑚礁を含む自然をあっけなく破壊し、跡を見向きもしない。そこに輪をかけて基地問題がのしかかり、「基地とリゾート」という二重の圧力で沖縄の「民意」もゆがんでしまうのだ。
本書の著者は「復帰」から5年後に独力でミニコミ誌を創刊。以来、県内の離島にも丁寧に足を運び、リゾート開発の実態をこつこつとルポしてきた。
並行して古来の「琉球」の習俗から現代の「沖縄」への変化や米軍基地の圧力にも敏感な目を配る。離島で伝統の祭りをつかさどる老女たちは外から来た学者や報道人と「ヤマトグチ」(本土言葉)で話すのがなにより苦痛といったこまやかな観察が光る。質量ともに気骨あふれる書物である。
(藤原書店 3960円)
「ずっと、ずっと帰りを待っていました」浜田哲二、浜田律子著
「ずっと、ずっと帰りを待っていました」浜田哲二、浜田律子著
たとえ何年経とうとも太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦の記憶は、世代が変わっても沖縄ではたしかに受け継がれている。しかし、本土はどうなのか。沖縄の人々を巻き込み、集団自決を強いた日本軍は本土からやってきた「支配者」だったのだ。
本書はその沖縄戦でただ一つ、米軍の猛攻をはねのけて陣地を奪還した当時24歳の守備隊長・伊東孝一が、戦後、死なせた部下の遺族に宛てて送り続けたわび状と、それに対する遺族からの返信をまとめたルポルタージュ。
手紙の数356通。その一通一通を丁寧に読み込み、遺族に返すボランティア活動をしてきたのが著者の2人。もとは朝日と読売新聞のそれぞれ記者だったという夫妻。その地道な献身にも心打たれる。
(新潮社 1760円)
「いま沖縄をどう語るか」新崎盛吾ほか著
「いま沖縄をどう語るか」新崎盛吾ほか著
現在の東アジア情勢のなかで沖縄の置かれた立場はあまりに厳しい。しかし本土の社会はそこに目をつぶり、東京中心の報道メディアも鈍感な姿勢しか示さない。
これに対峙するのが沖縄のメディア。琉球新報と沖縄タイムスはライバル紙だが、沖縄の民の声を重んじる姿勢は変わらない。
2011年、防衛省の沖縄防衛局長が辺野古移転問題に関連し、報告書を年内に出すと明言しない理由を問われて、「これから犯す前に、犯しますよと言いますか」と軽口をたたいた。辺野古移転を前提にした報告しか出すつもりはないが、それを先に言うともめるから言わない、という趣旨だ。
それをレイプになぞらえる発言は、オフレコの場だったとして大手メディアは沈黙。ただ琉球新報だけが危険を冒して報じた結果、局長は更迭されたのである。これこそ不正を見逃さない報道の典型だろう。
本書は法政大学の「沖縄文化研究所」の創立50周年を記念したシンポジウムの記録。招かれた研究者やジャーナリストたちの気骨ある発言録が、戦後の沖縄の苦闘と歩みを物語る。
(高文研 1980円)